新編 教えるということ

未読
新編 教えるということ
新編 教えるということ
未読
新編 教えるということ
出版社
出版日
1996年06月01日
評点
総合
4.0
明瞭性
4.0
革新性
4.0
応用性
4.0
要約全文を読むには
会員登録・ログインが必要です
本の購入はこちら
書籍情報を見る
本の購入はこちら
おすすめポイント

多くの学校で問題視されている学級崩壊や学力低下。学校とは本来教える場だが、その教えることがうまく機能していないと指摘されて久しい。だがそもそも「教える」とはどういうことなのだろうか? その問いを深めていくのが本書だ。

著者の大村はま氏は、国語科教育の第一人者である。1928年に東京女子大学を卒業した後、長野県で唯一の女性の国語科教師として10年を過ごした。第二次世界大戦後は新しく発足した中学校へ転じて、73歳まで公立中学校の現職教諭に。多くの教師が「忙しいから研究するひまがない」というなか、作文の研究を徹底的にやり抜いた。

本書を通して読者は、職業人としてストイックであることがいかに重要なのか、心から理解できるようになるだろう。たとえば子どもをかわいがるのは、教師として当たり前のことだと大村氏は語る。重要なのは、いかに一人でも生き抜ける人間に鍛えあげることだ。

言うまでもなく、教職に携わる者にとっては必読の書である。国語教育にとどまらず、教師としての心持ちや技術、子供の心を惹きつける授業の作り方を学べるからである。大村氏のもつ美学には、どのような職種の人であっても心を打たれるに違いない。子どものいる親や部下のいるビジネスパーソンなど、教育に携わるすべての人にお読みいただきたい一冊である。

著者

大村 はま(おおむら はま)
1906年、横浜生まれ。1928年、東京女子大学卒業後、国語科教師として長野県の諏訪高等女学校に赴任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を重ねる。優劣の意識を超えたところで生徒を授業に熱中させる、新鮮で画期的な「大村国語教室」は子供たちを育てるばかりではなく、教師・研究者・親にも貴重な刺激を与えてきた。著書に『大村はま国語教室』(全15巻・別巻1)をはじめ、『日本の教師に伝えたいこと』など多数。2005年没。

本書の要点

  • 要点
    1
    教師たるもの、子どもたちに「読んできましたか」と確認する「検査官」や、黙って書かせる「批評家」になってはいけない。
  • 要点
    2
    教師の役割は、温かくもきびしい目をもち、子どもを一人でも生き抜ける人間に鍛え上げることである。そのためには真摯な研究とすぐれた指導が必要だ。
  • 要点
    3
    学力不足や活字離れが起きるのは、教室に魅力がないからである。たしかな成長感を得られる場であれば、生徒は教室に魅力を覚える。
  • 要点
    4
    多様な学習を行なう「単元学習」なら、優劣にとらわれることなく、子どもたちに学習の楽しさを実感させることができる。

要約

教えるということ

長い教師生活のなかで
vtmila/iStock/Thinkstock

著者の大村はま氏が教師になったのは、昭和3年(1928年)のことだ。当時は不況による就職難で、世の中に人が溢れていた。とにかく就職できたら上々という状況だ。東京女子大を卒業した大村氏も、東京はもちろんのこと、関東近郊にも勤め口を見つけられなかった。しかしちょうどいいタイミングで、長野県の学校に勤めていた友人が東京に出ることになり、その代わりとして教職に就けることになった。

大村氏は長野で10年間、国語を教える唯一の女教師として過ごした。女性は半人前と思われていた時代である。だがそのおかげで雑務に追われることなく、教育にとことん打ち込めた。

長い教師生活だったが、大村氏は「研究」から一度も離れなかった。「研究を失った教師は、子どもと全然違った世界にいる」という考えがあったからだ。毎月1回、研究授業を行ない、誰も使ったことがない教材を用意し、新たな教育法を開拓していった。

教えない教師が多すぎる

ここからは大村氏が、研修会で若い教師に語った内容を取り上げていく。

大村氏がある研修会の題を「教えるということ」にしたのは、「教える」ことをしない教師があまりにも多くて困ったからだ。「教えない」教師というのは、「検査官」や「批評家」のようにふるまう人たちのことである。

「検査官」のような教師は、教室に子どもを入れると開口一番、「読んできましたか」と尋ねる。これではまったく教えることにならない。子どもが学習をするのはあくまでも「学校」である。そもそも「家庭」は生活の場であり、本来勉強するところではない。学校で「読んできましたか」と問うことは、「読む」という一番大事なことを家庭へ預けることに他ならない。

また「批評家」も「教えていない」教師の代表例だ。こういう教師は作文を家で書かせたがる。学校で書かせる場合でも、生徒が書いている間はじっと教壇のところで見ているだけで、書かせたものを集めては「これは下手だ、これは上手だ」と批評する。こんな教師は指導者ではない。

見ているだけの教師は、「自分だけ書けない」と苦しんでいる子どもを助けられない。書き出しに困っている子どもがいたら、冒頭を書いて、「続けてごらん」と勢いをつけてあげることだ。そうすれば子どもたちが劣等感を抱くこともなくなるし、どんどん先を書いていけるようになる。つっかえている子どもには質問してあげて、見たものを思い出させてあげるのもいいだろう。これこそが「書くことを教える」ということなのだ。

子どもに敬意をもつ
Jupiterimages/Stockbyte/Thinkstock

一般的には、劣った子どもに親切なのがよい教師ということになっている。たしかにそれも大切なことだ。しかし教師たるもの、落後者を生まないことだけに腐心してはならない。

教育現場では「中ぐらいの生徒を目当てに授業を進めればよい」と言われることがあるが、これは空論である。子どもと接する際は、常に一人ひとりを見るべきであって、束にして見るべきものではない。ときにグループ学習をさせることもあるが、すべては個人を生かすためである。根本は個人を伸ばすことにあると心得るべきだ。

大切なのは、教師が子どもを尊敬することである。

もっと見る
この続きを見るには...
残り2605/3910文字

3,400冊以上の要約が楽しめる

要約公開日 2018.02.04
Copyright © 2024 Flier Inc. All rights reserved.
一緒に読まれている要約
ビジョナリー・マネジャー
ビジョナリー・マネジャー
秋元征紘
未読
子ども格差の経済学
子ども格差の経済学
橘木俊詔
未読
メガトレンド
メガトレンド
川口盛之助
未読
GE巨人の復活
GE巨人の復活
中田敦
未読
2000社の赤字会社を黒字にした 社長のノート
2000社の赤字会社を黒字にした 社長のノート
長谷川和廣
未読
健康格差
健康格差
NHKスペシャル取材班
未読
中国人の本音
中国人の本音
工藤哲
未読
MIND OVER MONEY
MIND OVER MONEY
クラウディア・ハモンド木尾糸己(訳)
未読