ライブドアに東京地検特捜部が強制捜査に入ったのは、2006年1月16日の午後6時過ぎから7時ごろ。外は暗くなっていた。堀江貴文(以下、堀江)氏としては、いきなりガサ入れが入った意味がわからなかったし、手の打ちようもなかった。
NHKが午後4時過ぎごろ、「ライブドアに強制捜査」と速報。しかしこれは番記者が間違えてフライングしたのだろう。NHKが先走ったせいで、あわてて検察が動いたとしか思えないほど、不可解なタイミングだった。
ライブドアは上場企業だ。特捜部が動けば、株価にものすごい影響がある。だからガサ入れをするにしても、普通は金曜日のはずだ。まさか特捜部が強制捜査にやってくるなんて、堀江氏はまったく考えてなかった。罪の意識もなかったので、NHKの速報が出ても、証拠隠滅に走ることはなかった。
検察官が捜索令状をチラ見せし、いきなりオフィスに入ろうとした。「その令状をちゃんと見せろ」といって凝視したところ、「証券取引法違反」などと書いてある。プロの法律家を入れてチェックしていたから、実行した取引に違法性なんてあるわけがない。堀江氏には「絶対合法だ」という自信があった。だから令状を見た瞬間、「いやいや、これはないでしょ」と反発した。
ライブドアの顧問弁護士に「一番いい弁護士を連れてきてくれ」と頼み、弁護団を結成した。でもこの時点で堀江氏ともう一人の役員以外は、みんな白旗をあげていた。「戦おう。絶対大丈夫だから」と説得したが、話にならなかった。
弁護士は「特捜が強制捜査にやってきたら、100%逮捕される。逮捕されて起訴されるまでは間違いないから、あとは起訴後に裁判で無罪が勝ち取れるか、それとも実刑になるかの瀬戸際で頑張るか、あるいは有罪になることを前提に、最初から執行猶予付き判決を狙いにいくかどっちかだ」といった。
いまから考えると、ライブドアつぶしの予兆はあった。あのころはやりたい仕事がいっぱいありすぎた。毎日ニュースやワイドショーに堀江氏の名前が出ていた。しかし若いヤツが一代で成り上がってイノベーションを起こすのを、旧世代の連中はよしとしない。成り上がりを嫌い、寄ってたかってつぶす。日本にはこういうくだらない風潮がある。
一方で井川意高(以下、井川)氏が経験した大王製紙事件の際は、打って変わったように慎重だった。
2009年に厚生労働省の女性官僚が逮捕されたあと、特捜検察は日本中から大顰蹙を買った。だから井川氏の事件捜査は任意捜査から始まった。移動にあたっても、記者に直撃取材されないよう、動線を緻密に計算してくれた。「鬼の特捜」といわれるが、井川のときは本当にやさしかった。逮捕も会社のゴルフ大会に配慮し、日程をずらしてくれた。
特捜は調べの段階で、大物政治家への贈収賄を疑っていた。大王製紙の子会社から毎週のように、個人口座へ億単位のカネが入っていたからだ。でも井川氏としては、贈収賄なんてやる動機がなかった。政治家とまったく関係のない商売をやっているわけだから当然だ。実際ホントに何もないことがわかると、検事は心底がっかりしていた。
刑務所には他に何の楽しみもないから、受刑者はみんなメニューを見て「今日のメシは何だろう」と気にする。しかし刑務所のメシには当たりハズレがある。
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