心の中に抱く「思い」は、人の運命を作る。多くの人々は「考える」ことが大切だと信じ、「思う」ことは蔑ろにしている。「思いつき」と言うように、思うだけなら誰でもできると考えられがちだ。しかし、「思う」ことの大切さは「考える」ことの比ではない。私たちが生きていく中で「思い」に勝る力は存在しない、そう感じるほどである。
では、具体的に「思い」というものが人生にどれほど大きな影響を与えるのか。「思い」はふたつの側面から理解することができる。
一つは、私たちの人間性、人柄、人格は「思い」によって作られているということ。たとえば、利己的な「思い」を持ち続けている人は自分勝手な人間性の人になり、一方で優しくて思いやりのある「思い」を持ち続けるのなら、そのような人間性を備えた人になれる。
そしてもう一つ。「思い」は人間性に影響するだけでなく、人の運命まで形成する。今、目の前にある境遇や環境というのは、他でもない自分の「思い」が作ったものだということだ。たとえ、今置かれた環境がどれだけ不運で不幸だと感じようとも、それは他人のせいではないのはもとより、自然がそうさせたものでもない。他ならぬ、自分自身が心に持ち続けた「思い」が蓄積してできあがったものである。
「思い」にこれほどの影響力があるとは、多くの現代人は信じてはいない。しかし、信じる信じないにかかわらず、自分の人生も、人間関係も、地域社会とのかかわりも、全てこの「思い」によって作られる。人が生きていく上で「思い」は何よりも大切だ。
「思い」というものは人間の心から生まれる。人間の心というのは、「自分さえ良ければいい」という利己的な心と「他の人々を助けてあげたい」という利他的な心、この2つから成り立っている。重要なのは、2つの心の内どちらの割合が大きいかという点だ。
これついて、イギリスの啓蒙思想家ジェームズ・アレンは心を庭に例えてこのように説く。「優れた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、美しい草花の種を蒔き、それを育み続けます。」
つまり、利他的な心を養いたいと思うのであれば、絶え間ない「心の手入れ」が必要だということである。これを、まるで雑草が伸びっ放しの庭を放置するように心の手入れを怠れば、それに従うような人間性や人格が培われる。そして、そのような人間のもとには、それに相応しいだけの困難が次々と訪れるだろう。
片や、美しい心を持ち続けるのであれば、すばらしい人間性、人柄、人格を自分が手にすることができるだけでなく、それに合ったように良い出来事が起きるようになる。心から幸せだと思える理想的な環境は、他でもない「思い」が作り出す。「思い」はそれほど大きな力を持っている。
したがって、一生懸命勉学や仕事に精を出すのはもちろんのこと、心の手入れや整理はそれにも増して気にかけて施すことが肝心だ。「自分さえよければ良い」という利己的な心をできるかぎり抑えるべく、利他の心の庭を手入れしなければならない。
「思い」は必ず実現させることができる。ただし、「思い」は「信念」とも呼べるほど強烈なものにしなければならない。寝ても覚めても、その「思い」が頭から離れないほど強くあるべきだ。特に、その願望が実現不可能に感じるものであればあるほど、「なんとしてもやり遂げてみせる」という信念を築き、さらに「何があろうとも、オレは絶対に実行する」という「胆識」にまで高める必要がある。
そして、もし本当に何かを実現したいのであれば、微々たる迷いをも許してはならない。人々はたいてい、胸の内に何か思いを抱いても「それを叶えることが難しい理由」をすぐ考えてしまう。
しかし、それで事が成就することは絶対にない。大切なのは、ただひたすら自分の可能性を信じること。「思い」に秘められた想像を絶するほど偉大な力を信じて邁進する。そうすれば、すべてのことは必ず実現するはずだ。
著者が、この「思い」を持つことの重要性についてここまで強く提唱するのは、本人が身をもってその力の凄さを経験しているからに他ならない。
1955年鹿児島大学を卒業後、京都の老舗メーカーに就職。しかし、良い環境とは程遠い、給料の支払いも遅れる今にもつぶれそうな会社だった。
何度も辞めたいと感じたものの他に行く当てもなく、残された「ファインセラミックスの研究」という選択肢に専念することを決断した。実験室に自炊用具を持ち込み、そこで食事も寝起きもしながら研究に打ち込んだ。
ファインセラミックスの研究は、本来であれば著者の手に余る任務であり、本人もそのことよく承知していた。しかし、「何としてもやり遂げたい」という思い、そしてやがてその思いは「自分の手で、会社と仲間を救いたい」という信念に変わり、本人を突き動かし続けた。そして遂に、日本初、世界でも二番目に新しい、ファインセラミックス材料の合成に成功した。
その後京セラを創業してからも、あらゆる根源にあるのは強い「思い」だった。社員の幸せのためになんとしても会社を成長させる、その「思い」で新しい材料、製品、事業を開発してきた。今では年間約1兆5000億円の売上を誇るグローバル企業も、その始まりは一人の人間の「思い」にあったのである。
すばらしい人生を生きるための秘訣「6つの精進」を紹介する。これら一つ一つは、著者が毎日お茶を飲む湯のみに焼き付けたほど大切扱ってきた約束事だ。実りある人生を送るために、いつでも見られるよう「6つの精進」を一覧にして手帳に収めてはどうか、このように著者は言葉を添える。
「毎日一生懸命働く」。これこそが仕事をするために、また、幸せな人生を生きるために必要不可欠なことである。
大半の人は、自分が手に入れた職種や研究内容に不満を募らせて不平不満を口にする。しかし、世の中で事を成すような人というのは、たまたま当たった好きでもない仕事を、好きになる努力をした人だ。だからこそ、まずは「惚れる」ほど自分の仕事を好きになる。人生というのは、努力をした分だけ神様からほうびが与えられるようにできている。
謙虚であるということは、人格を形成する要素の中で最も大切なものである。一生懸命努力を重ねて地位も名誉も手にすると、どうしても人は傲慢になっていってしまう。必死に働いて大会社を築き上げても、その後の傲慢さで没落してしまったという事例は本当に多い。
大切なのは、成功する前から謙虚であるということだ。成功してもしなくても、「なんとすばらしい人柄よ」と言われるような人間性を身につけておかなければならない。
一生懸命に誰にも負けない努力をすることに加えて、「反省する」ことを毎日繰り返せば、人格やその人の魂は磨かれていく。
かくいう著者も若い頃は傲慢になることもあった。その時には、毎日ではなくとも思い出した時に反省を繰り返すことで自分を律してきた。人に嫌な思いをさせなかったか、卑怯ではなかったか、自分さえよければいいというような言動はなかったか。一日の終わりはこのようにその日を振り返って反省することが大事である。
人はひとりでは生きていけない。だからこそ、「生きていることに感謝する」ことは人生においても大変大事である。今ここに生きていられるのは、空気があり、水があり、自分を支えてくれる人々がいるからだ。このように考えれば、感謝の気持ちというのは自然に湧いてくるものである。
とはいえ、感謝しろといわれても、なかなか難しいときもある。そのような場合は、「ありがたい」「ありがとうございます」と、感謝の念を口に出していれば、それは自然と習慣になり、感謝の気持ちも次第に湧いてくるだろう。
中国の古典に「積善の家に余慶あり」という言葉がある。他人のために善い行いを重ねた家にはさまざまな福がもたらされるという意味である。しかし、よかれと思って人のために親切にしても、それがかえって自分を苦しめる結末になるということもある。借金の連帯保証人になったばかりに自分が財産を失うことになった、というのがよい例だ。
そこで、人に何かをしてあげようとするときには、同時に小善大善についても考えなければならない。先の例であれば、借金の理由がその人のいいかげんな生活態度にある場合、「君のためにならない」と厳しく断ることこそ大善だろう。長い目で見て、本当に相手のためになることを深く考えるべきなのだ。
失敗したことをいつまでもくよくよ悩まないということである。当然、失敗は反省し、二度と同じ過ちをしないと決意しなければならない。しかしそれをいつまでも悔み悩むのは、心と体の病を引き起こし、人生を不幸にしてしまう。
私たちは仕事で失敗をすると、悩んでも無駄だと頭ではわかっていながら、それでも「あれがうまくいっていればな」と考えてしまうものだ。そのようなときは、逆に自分を励まし立ち直らせることだ。そしてきっぱりと諦め、新しい仕事に打ち込むことが肝心だ。
ここでは、鹿児島大学が開催したシンポジウムにて設けられた、著者と学生たちの質疑応答の様子を一部紹介する。
質問:「思い」を強い「信念」に変えるようとするとき、ぶれてしまう自分がいる。弱さゆえにどうしても「できない」できないと思ってしまう。この感情を乗り越えるための方法はあるか。
解答: 今の時代は、豊かで選択肢が多い。だからこそ、逆にかわいそうだともいえる。しかし結局のところ、様々な選択肢はあっても今決まったことに強い信念で臨む方がいい。仕事にせよ学問にせよ、どんな世界でも成功した人というのは脇目もふらず一生懸命打ち込んだ人に他ならない。
質問:人類に平等に与えられているとわれる1日24時間という時間を、著者はどのように使っているか。
解答:何時から何時までこれをするといった意識はなかった。ただし、「今日すべきことは絶対に今日済ます」ということは強く心に誓っていた。生き方において、絶対に後へ残さないという姿勢を貫いてきたのである。具体的には、1年365日の内だいたいは午前様であった。もちろん、お酒を飲んでではなく、仕事をしてである。
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