コンテクストとは、その人が置かれている状況や背景、他人との関係のことだ。私たちは、物事を、過去との比較や他者との比較というコンテクストで評価している。たとえば、あなたの家の大きさは、同じ地域の他の家と比較したうえで評価されるといったようなことだ。この評価は私たちのさまざまな選択を左右しており、経済的選択の多くもコンテクスト抜きで語ることはできない。
それにもかかわらず、経済学者たちは、経済的行動におけるコンテクストの影響について考慮していないように見える。それが羨望や嫉妬といった否定的な感情にかかわるものだと考えているからかもしれない。しかし、それは誤解だ。コンテクストの影響は、羨望のために生じるものではない。重要な利益が相対的地位によって決まるためである。
自動車を例にとって考えてみよう。著者は、真新しいレクサス・セダンを購入した友人に、「もっと安くて信頼性も同じくらい高い、同じメーカーのトヨタ・セダンではなくレクサスを選んだのはなぜか」と尋ねた。その問いに対する彼の答えは、「レクサスの質の高さに魅力を感じたのだ」であった。彼は、トヨタ・セダンよりも、同じ環境においてプラスとされる特徴を持つレクサスのほうが良質だと判断し、より高い金額を支払ったのだ。これは、他の誰かの上に立ちたいという考えではなく、自分のために質を求めたいという考えに基づいた選択だ。そして、羨望による選択と同じであるといえるが、羨望がなくとも生じる現象である。
本書の主題である幸せとお金について考えるにあたり、まずはアメリカの所得と富の分配の変化を見てみよう。1949年から1970年代の終わりにかけて、トップ5パーセントから下位20パーセントのすべての層の所得は、年に3パーセント弱という同じ割合で増加した。この時期の支出についても、同じ割合での増加が見られた。つまり、どの層においても、所得と消費の伸びのバランスが維持されていたのである。
このバランスに変化がみられたのは、1970年代である。1979年から2003年の期間を見てみると、最下層の所得の伸びは実質購買力の3パーセント程度にとどまっており、中間所得層全体に関してもごくわずかにとどまっている。それに対し上位20パーセントの層の所得は大きく伸びているのだ。特に、トップ1パーセントの層の所得の増加は注目に値するものがある。加えてこの時期には、層ごとの所得の伸びが不均一であったことも特筆すべき点である。
トップ層の所得が増え、中間所得層の所得も減ってはいないことから、社会全体としては悪くないのではないかと感じるかもしれない。しかし、所得と富の分配が変化したことにより、中間所得層世帯は、心理的コストと経済コストを押しつけられているのだ。
中間所得層の所得の伸びはごくわずかであるにもかかわらず、トップ層の支出が増えれば、それに伴って中流家庭にかかるコストまで引き上げられてしまう。
たとえば、住居費だ。これは、トップ層の所得が増えることにより、彼らが以前よりも大きな家を建てることに端を発する。
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