哲学者の考察は、「問いの種類」と「学びの種類」という2つの軸に沿って整理することができる。問いの種類には、「What」と「How」の2つがある。「What」の問いは「世界はどのように成り立っているのか」を問うもので、「How」の問いは「私たちはどのように生きるべきなのか」を問うものだ。
「学びの種類」にも2種類あり、それは「プロセス」と「アウトプット」である。プロセスとは、その哲学者がどのようにして考え、最終的な結論に至ったかという思考のプロセスや問題の立て方を指す。アウトプットとは、その哲学者が論考の末に最終的に提案した回答や主張を意味する。
古代ギリシアの哲学者たちが導き出した「アウトプット」の1つに、「世界は4つの元素から成り立っている」という指摘がある。今の私たちにとって、このアウトプットから学ぶものはなにもないだろう。
その一方で、彼らがどのように世界を観察し、考えたかというプロセスからは、みずみずしい学びがある。アナクシマンドロスという哲学者は、「大地は水によって支えられている」という当時の定説に疑問を抱いた。大地が水によって支えられているなら、その水もまた何かに支えられている必要があるからだ。結果として彼は、「地球は何物にも支えられておらず、宙に浮いている」という結論に至った。
彼の結論は的外れのものであった。しかし、彼が示した知的態度や思考のプロセスは、現在の私たちにとっても大いに刺激になるだろう。
つまり、現代の私たちが哲学者の論考から学ぶにあたっては、プロセスからの学びこそが「ミソ」である。アウトプットからの学びはむしろ、刺身のツマのようなものだ。
ルサンチマンとは、弱い立場にあるものが強者に対して抱く嫉妬、怨恨、憎悪、劣等感などのおり混ざった感情のことを指す。これは、哲学者フリードリッヒ・ニーチェが提示した概念である。
ルサンチマンを抱えた人は、その状況を改善しようとして次の2つの反応を示す。
(1)ルサンチマンの原因となる価値基準に隷属、服従する:みんなが高級ブランドのバッグを持っているのに自分だけが持っていない場合、自分も同格のブランドバッグを購入するといった反応。
(2)ルサンチマンの原因となる価値判断を転倒させる:「高級フレンチで食事する人は成功者だ」という価値判断を転倒させるため、「高級フレンチなんて行きたいと思わない、サイゼリヤで十分だ」と発言するといった反応。
ニーチェによると、ルサンチマンを抱えた人は、ルサンチマンに根ざした価値判断の逆転を提案する言論や主張にすがりついてしまう傾向があるという。その典型なのが、聖書が説く「貧しい人は幸いである」や『共産党宣言』が説く「労働者は資本家よりも優れている」といったコンセプトだ。ルサンチマンを抱えた人に価値の逆転を提案することは、一種のキラーコンセプトだといえよう。
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