「才能」とは何だろうか。多くの人はその言葉の意味を、「持って生まれた、すぐれた能力」といったニュアンスで理解しているだろう。実際、著者が『日本国語大辞典』や『大辞林』を引いてみたところ、「生まれつきの能力」「技術・学問・芸能などについての素質や能力」などといった言葉が並んでいた。
そう聞くと「生まれつきすべて決まっているんだ」と諦めてしまう人も多いだろうが、著者はその思い込みを否定する。「能力」は誰でも身につけられるものであって、その能力が誰よりも抜きん出るとそれが「才能」として認められるようになるのだという。『広辞苑』の「才能」の項には「訓練によって得られた能力」という解釈が書き添えられている。
著者は「才能がある/ない」「頭がいい/悪い」「地アタマがいい/良くない」と二元論的に人を分類する考えは誤っていると感じてきた。そしてそれを証明すべく、学習塾の講師としての指導を記録してきたという。生徒にどんな課題を与えてその結果がどうだったか、結果を受けてどんな声かけをしたか、面接で何を話したか、合否はどうだったかなど、あらゆる項目を記録した。データは1000人分以上にのぼる。そしてそれを見返すと、塾にやって来た当初は「才能がない」「頭が悪い」などと言われていた生徒が一流大学に合格しているケースが多く見受けられた。
そこで著者が出した結論とは、「才能は結果でしかない」ということだ。“あまり努力をしなくてもできちゃう人”のことを「才能がある」と言いがちだが、才能があると評されている人たちはみんな努力をしている。すべての人が優秀と言われる可能性を持っているのだ。
ただし、自分に合っていない、ふさわしくない場所で努力しても結果は出ない。それよりも、自分に合った動機付け(やる気)のもと、正しいやり方を選んでコツコツと努力を積み重ねて結果を出した人が「才能がある」と評される。
「やる気スイッチ」は幻想である。人は常に動機付けによって動くのだから、いかに動機付けするかが重要だ。親から子に対しても、上司から部下に対しても、やり方次第で動機付けを引き出すことができる。
動機付けは「認知」「情動」「欲求」の3つの行動から成り立っている。認知は、世界の見え方や価値観をがらりと変えてくれるものだ。たとえば500ページの本を20日間で読み終えなければならないとする。一見高すぎるハードルに見えるが、1日25ページずつ読むと決めると「これなら自分にもできそう」と感じられるようになり、行動に移すことができるだろう。これが認知だ。動機付けしたい人が何をどう認知しているかを冷静に正確に観察し、その人が面白いと思える視座を与えれば、動機付けをコントロールすることができる。
「情動」は、感情が燃え上がってテンションが上がることだ。イヤイヤやっていてはなかなか続かない。
「欲求」は、
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