現在の日本の状況を考えると、お先真っ暗と思う人もいるかもしれない。しかし、まず強調したいことは、多くの未来予測は外れるということだ。約30年前に作られた映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、2015年に偉そうな日本人上司が出てきて、主人公に「お前はクビだ」と宣告する場面がある。当時は、これからは日本の時代だという雰囲気があったためだろう。しかし、実際には予想はかなり外れたといえる。
同様に、現在の人々が「当たり前」と思っていることも、少し前までは全く常識ではないことも多い。思い込みを捨てて長い射程で考えることが重要だ。
かつて貴族は貴族、平民は平民と、まったく違う人間だと思われていた。しかし、それから世界がどんどんつながっていき、人々はみな同じ人間として平等化が進んだ。それに伴い、人々は互いの違いにいっそう敏感になった。違いがあると「不平等だ」と感じやすくなった。
こうした考え方は、グローバル化とデモクラシーが抱える問題にも関連してくる。世界はグローバル化によって緊密につながっていった。これにより、先進国の中間層以下の人々は、圧倒的に損をすることになった。ダメージを受けた人たちの声を反映するのが民主主義である。象徴的なことに、これまで新自由主義やグローバリズムを進めてきたイギリスとアメリカからとくに悲鳴が上がっている。
グローバル化で世界がつながっていくことと、民主主義で人々の意見を政治に反映すること。いずれもよいことであるが、これらが常に両立できるとは限らない。よって、どれだけ平等化が進んでも、対立や矛盾はまずなくならないだろう。
そんな中、異なる意見をもつ人がどう一緒に暮らしていくか。これを考えるのが、政治の役割である。学生にとって身近な例を挙げると、クラスで修学旅行の行き先を議論し、多数決で決めることも、広い意味では政治といってよい。
「男の人は外で働き、女の人は家にいるのが日本の伝統」といわれることがある。だが、歴史的には必ずしもそうではない。日本では、20世紀半ばまで、女性が働くのは当たり前とされていた。ある時期までは欧米と比較しても、日本の女性の就労率は高かった。むしろ欧米の方が、職場で女性が排除される傾向にあった。
日本で現在当たり前だと思われている「サラリーマン」という仕事の形態や、それを専業主婦が支えるというモデルは、高度経済成長期以降に生まれたものである。この分業モデルはもうすぐ終焉を迎えるだろうが、そもそも日本の伝統というわけではないという点を、著者は強調する。
多くの場合、文化は仕組みや制度の問題である。仕組みや制度を変えれば、新しい働き方の文化をつくり出せる。
政治の大きな目的は経済発展である。ただし、市場経済では必然的に不平等が生じる。民主主義社会では、一定の平等性が必要だと著者は考えている。そのため、市場経済で生まれる格差はどこかで是正される必要がある。
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