本書における「オッサン」とは、年代や性別にかかわらず、次のような行動様式・思考様式をもった「特定の人物像」を指す。
(1)古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
(2)過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
(3)階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
(4)よそ者や異質なものに不寛容で、排他的
したがって中高年の男性でもオッサンに該当しない人がいる一方で、傍若無人な振る舞いで自らを省みることのない人はオッサン化しているといえる。
20代の頃どんな時代を過ごしたかによって、その後の人格形成は大きく変わるものだ。2018年時点で50代・60代のオッサンたちは、「大きなモノガタリ」のなかで20代を過ごした最後の世代である。「大きなモノガタリ」とは、「いい学校を卒業して大企業に就職すれば一生豊かで幸福に暮らせる」という、バブル崩壊前に蔓延していた幻想のことだ。オッサンたちはこの「知的真空の時代」に若手時代を過ごしており、「大きなモノガタリ」に順応することが、自己の便益を最大化するもっとも合理的な手段だと考えていた。
だがその後、「大きなモノガタリ」は喪失。代わりに「新しいモノガタリ」として、「グローバル資本主義下における弱肉強食の世界」が支配的になった。ゆえにオッサンたちが「大きなモノガタリ」の喪失後、社会や会社に対して「裏切られた」と恨みを抱えることになったのも、頷けるところではある。
人材に一流、二流、三流があるとするならば、もっとも出現率が高いのは三流だ。組織を起業して発展させることは、一流の人材にしかできない。しかし組織が成長していくと、人材が増えていくと同時に、三流の人材が幅を利かせるようになる。なぜなら三流は一流が見抜けないので二流におもねり、二流は一流を見抜けるものの疎んじるためだ。
だから一度でも二流がトップに立つと、それ以降はよほどのことがない限り、その組織に一流の人材が入ってくることはない。そして人材のクオリティは世代交代するにつれて、三流に収斂していくことになる。組織が大きく古くなればなるほど、この劣化はより顕著にあらわれる。
先の世代論・年代論で挙げた構造的問題に加えて、このようなリーダーのクオリティの経時劣化が重なり、日本の多くの組織で問題が起きているのだ。
「劣化したオッサン」に立ち向かうには、「オピニオン」と「エグジット」を武器として使いながら、社会で権力を握るオッサンに圧力をかけていかなければならない。「オピニオン」とは、おかしいと思うことにおかしいと意見することであり、「エグジット」とは、権力者の影響下から離脱することである。オピニオンもエグジットもしないということは、オッサンが自分の人格や人望を勘違いする土壌を育んでいるという意味で、不祥事に加担しているのと同じである。
とはいえオピニオンやエグジットの行使は、ややもすると自分のキャリアを危険にさらすことにもなりかねない。
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