トレランス(tolerance)という言葉をきいたことがあるだろうか。寛容もしくは許容という意味である。例えば、フォールト・トレラント設計とは、銀行の口座やチケット予約管理など、大規模システムで使われている。部分的にどこかで問題が生じても、全体が機能停止に陥ることはなく、何とか持ちこたえるように予め設計されているのだ。飛行機や高級自動車などもこのような設計がされている。
この設計はいざというときに役立つのだが、それ以外のときは不要なお荷物になる。限られたパッケージの中でよりコンパクト、より軽量、より高機能を目指せば目指すほど冗長性を削ることになり、想定外のことが起きたときに脆弱性を露呈してしまう。さて、生命のシステムはどうか。まるでフォールト・トレランスなのである。胃を全部摘出したとしても、他の部位が消化機能を代替することで生きていける。平衡感覚をつかさどる三半規管の機能が怪我や病気で失われても、人間はちゃんと運動することができる。
これが生命の可塑性であり、機械にはない大きな特徴なのである。その一方で、花粉症や臓器移植の際に起こる拒絶反応のように、異物が入ってきた時は免疫系によって外部を拒絶する、不寛容さも兼ね備えており、生命の奥深さが感じられる。
生物学者である福岡ハカセは、様々な生き物を愛してやまない。
粘菌という不思議な生命体を知っているだろうか。通常はアミーバ運動といって、細胞の中に対流を作って、形を変えながら土の中を這って移動し、細菌を食べて生活している単細胞生物である。ところが、季節の変わり目などで飢餓状態になると、バラバラに生活していた単細胞たちが大集合するのだ。中心となる細胞めがけて四方八方から細胞が放射状に長い道をつくってもぞもぞ這って集まってくる光景は、それは見事だと著者は言う。
およそ10万個集まった細胞はひとつの大きなドーム状の塊から、時が来ると頭頂部から突起が現れ、なんとナメクジのような多細胞生物に変身するという。そして、光を求めてぬめぬめと移動する。明るい場所を見つけると、今度は高さ数ミリのミニチュアのスカイツリーのように、身体の一端を基礎にしながら他端を持ち上げるように立ち上がり、その頂点には丸い玉を乗せて塔をつくる。これは「子実体」と呼ばれ、丸い玉の中には植物がするように、たくさんの胞子が詰まっており、これが弾けて風に乗り、他の環境に移動していく。粘菌は、単細胞生物で始まりながら、動物的な多細胞生物、最後は植物的な子実体へと変貌を遂げていく、実にユニークでダイナミックな生き物なのだ。
3,400冊以上の要約が楽しめる