著者は学生のころ、就職活動をしなかった。性格上、サラリーマンとして働くのはほぼ不可能だと自己分析していたからだ。そこで消去法的に起業という道を選んだ。
起業といっても、上場することやイノベーションを起こすことが目的だったわけではない。最初は、知人づてにテープ起こしや簡単なライティング作業などを請け負う、便利屋的な仕事をしていた。やがてリアル店舗であるリサイクルショップを始め、次に学習塾、そしてバーを出店するにいたった。
商売がうまくいったため、現在はリサイクルショップや学習塾を事業譲渡し、「会長」のような立ち位置にいる。それと同時に、「しょぼい起業」という概念の提唱者としてプロデューサーやコンサルタント的な仕事もしているという。
そんな著者が本書で伝えたいのは、「つらいことをやる必要はない」ということだ。
今の若者にとって、「サラリーマン」という選択肢は必ずしも最適解ではない。手取り20万円ほどで働かされ、残業も転勤もあり、毎朝満員電車に揺られて出社し、終電で帰るような生活。プライベートの時間もないし、家族と触れあうこともできない生活。そもそもこんなふうに働いていると、結婚も子育てもできないかもしれない。また、会社がつぶれてしまう可能性も、無理がたたって心を病んでしまう可能性もゼロではない。
世間は往々にして、サラリーマン生活に順応できない人に「落伍者」のレッテルを貼る。だがその人が脱落した「レース」とは、誰が主催し、誰が勝ち負けを決めるものなのだろう。サラリーマンがみんな成功者になれるわけでもないのに。会社のルールなど気にせず、嫌になったら辞めてしまえばいいのだ。
起業すると決めたら、綿密な事業計画を作ったり、資金調達をしたり、オフィスを整えたり、採用をしたり……などといったことを考えるかもしれない。だが「しょぼい起業」においては、すべて不要だ。
農業を例にとって考えてみよう。「しょぼくない起業」では、メロンやイチゴなど、需要がありそうなものを高単価で売って儲けることを狙うだろう。一方「しょぼい起業」の場合はどうか。あなたが、野菜のとれる埼玉の実家住まいで、東京の学校まで通っているとする。授業のある日は通学定期券を使い、電車で東京まで出てくる。
このとき、あなたがひとりで埼玉から東京にやって来ればただの移動だ。だが、空のリュックに野菜を詰めて電車に乗り、東京でこの野菜を売ったとしたら、「移動」は「輸送」に変わる。毎日の通学がお金に換わるわけだ。
あなたがやることはさほど変わらない。いつもと同じ駅から、荷物を持って電車に乗って、買ってくれるお店に運ぶだけ。この「いつもやっている行為をお金に換える」という発想は「しょぼい起業」の基本的な考え方のひとつだ。これを「生活の資本化」(コストの資本化)と呼ぶ。
著者が経営していた「リサイクルショップ」と「飲食店」は非常に相性がいい。リサイクルショップに回ってくる家電のなかから、いちばんいいものを飲食店の内装に使ってしまえばいいからだ。そうすれば内装費を節約できる。
飲食店も同じだ。
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