本書は、なまったことばとはどのようなものかに関する解説から始まる。ただしそれを理解するには、人がどうやってことばを覚えていくのかを知ることが欠かせない。
結論からいうと、人は母(あるいは、母の役割をはたしてくれた人)からことばを教わる。幼い頃、母の口から出される「おおきくなぁれ」や「ワンワン」などの「オト」を聞く。さらには、母の口や顔を見ながらそれをまねしていくことで、からだ全体でことばを覚えていく。またその際、「オトのつらなり」としての単語や、その単語のうちでどこを強く高くいうかというアクセント、声の上げ下げの調子であるイントネーションも同時に覚えていくのだ。
こうして気づいたらしゃべれるようになっていることばを「母語」という。人はこれを原点としてことばの世界を広げていく。ことばはそもそも「オトのことば」であり、文字は後で習っていくものだ。ことばの原理とは、オトが人の心の中に「あるイメージ」を呼び起こすものなのである。
一方で、「生活ことば」というものがある。これは母語を基礎として、成長とともに身に付けたことばだ。当然ながら生まれ育った家庭や地域によって異なるものになる。
これを理解するには、子どもの頃に戻ったかのように、声に出して母親を呼んでみるとよい。いつもの呼び方で素直に呼びかけると、心の中の母親が振り返ってくれることだろう。しかし、いつもと違う呼び方で呼んだら、そうはならないはずだ。
その呼び方は人によって異なる。「かあちゃん」かもしれないし、「ママ」かもしれない。同じことばでも、人によってアクセントやイントネーションが微妙に違うだろう。
母親の呼び方は、人が育っていく中で身に付いた、なまった「生活ことば」の一例に他ならない。そこには人それぞれの歴史が詰まっているのだ。
楽しい人生を送る秘訣は、なまった「生活ことば」で暮らすことである。これが本書の核心といえる。
標準語だけで話そうとするのは、なかなか難しい。なぜなら、標準語は人工的につくられた、知識や情報を広く伝えるための「ビジネス用の日本語」であるためだ。それは政治や経済や科学などの情報を、子どもからお年寄りにまで聞き間違いのないように伝えるのには役に立つ。
しかし、標準語という考え方にとらわれていると、私たちの自然な生活ことばが窮屈になりかねない。ことばの役割としては、情報を伝えることよりも気持ちのやり取りができることの方が大切である。それを可能にするのは、やはり生活ことばで話すことなのだ。
また、「美しいことば」や「正しい日本語」という考え方にも、惑わされない方がよい。そもそも実際に存在するのは、母語やそこから広がった生活ことばだけなのだ。またそれは、そのことばを使って一生懸命に毎日を暮らしている一般民衆のものである。その美しさや正しさは、だれも判定できないだろう。
ことばの使い方は、私たちの暮らしにとって都合がよければ、それでよいのである。正々堂々と生活ことばで生きていこう。
ビジネスの場においても、生活ことばは大いに役に立つ。なぜならビジネスの基本は、ことばを使って相手の心に近づくことだからだ。それはトップセールスパーソンをイメージすると、よくわかるだろう。彼らに共通する要素は2つある。
1つが、とびぬけた美男美女ではないことだ。理由は簡単で、お客さんは美男子や美女を目の前にすると、それだけで身構えてしまうからである。
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