アメリカの民主主義は危機にさらされている。この2年間の間に多くの政治家がとった行動は、アメリカでは前例のないものだった。それは世界のほかの場所で起きた民主主義の崩壊の前兆であった。
多くのアメリカ人は、これ以上悪くならないと信じ込もうとしている。だが、不安が消えることはない。今日のアメリカ政治は、ライバルを敵として扱い、報道の自由を脅かし、選挙の結果すら拒もうとする。そして2016年のアメリカの選挙で初めて、公職についた経験がなく、独裁主義的傾向のある男が大統領に選ばれた。
このことは何を意味するのか。軍事クーデターは民主主義を破壊するが、同じくらいの破壊力を持つ別のプロセスを経て、民主主義が破壊される例も少なくない。軍人ではなく、選挙で選ばれた指導者によって民主主義が死ぬこともあるのだ。
冷戦後に起きた民主主義の崩壊のほとんどは、将軍や軍人などではなく、選挙で選ばれた政治家が率いる政権そのものによって引き起こされてきた。選挙というプロセスを挟んだ民主主義の崩壊は、恐ろしいほど目に見えにくい。
選挙で選ばれた独裁者は、民主主義の上辺を保ちながら、中身を骨抜きにする。民主主義を覆そうとする政府の動きの多くは、議会に認められ、逆に民主主義をよりよいものにする取り組みだと描かれるケースも多い。政府が明らかに独裁国家になる瞬間を特定することはまず難しい。社会に警鐘を鳴らすものは何もない。このように、民主主義の浸食は、多くの人々にとって目に見えないものなのである。
私たちは他国の民主主義の危機を学ぶことによって、アメリカが直面している課題について理解を深められる。世界の様々な国を比較しよう。すると、選挙で選ばれた独裁者たちが、驚くほど類似した戦略によって、民主主義の諸制度を破壊してきた事実が明らかになる。たとえ健全な民主主義の中においても、過激な思想を持った大衆扇動家が時々、表舞台に出てくるのだ。アメリカも例外ではない。
民主主義を護るための大切な試練は何か。それは、過激主義者が権力を握る前に、政治指導者たちがそれを阻止することである。彼らを政治のメインストリームから遠ざけ、民主的な候補者をサポートしなければならない。制度そのものでは、独裁者を抑制できないからだ。むしろ制度は政治的武器になる。
20世紀のほとんどの間、アメリカの民主主義を陰で支えてきたのは、相互的寛容、自制心という二つの規範である。二大政党の有力者たちは、お互いを正当なライバルとして受け入れた。寛容と自制の視点は、アメリカ民主主義の「柔らかいガードレール」として機能し、党派間の争いを避けるのに役立っていた。しかし、いまその力は弱まりつつある。
民主的な規範の弱まりは、政党の極端な二極化に根ざしている。しかも、二極化は単なる政策の差を超えて、人種と文化の差にまで影響を及ぼしている。この二極化がまさに民主主義を殺すのである。
ドナルド・トランプの驚異的な政治的成功の背景には、多くの理由がある。だが、彼が大統領にまで駆け上がることを可能にした要因の一つは確かである。極端な人物の進出を抑制するメカニズム、つまり「門番」が効果的に機能しなかったためだ。
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