西野亮廣は、兵庫県川西市のサラリーマン家庭で生まれ育った。5歳上の兄、2歳上の姉、そして6歳下の弟の4人兄弟の3番目。服やモノはお下がりが多く、買ってもらえるものは少なかった。そこで、西野が行っていたのは、ほしいものを「自分でつくる」こと。例えばレゴがほしいなら、家にあるダンボールでレゴのようなものを自作した。自転車も、兄のお下がりをカッコよく改造した。高校生になると、スクラップ工場で色んな廃材をもらって、イチから自転車をつくったほどだ。
西野は兄とオセロでよく遊んだ。オセロは、自分が置きたいところに駒を置くゲームではない。相手が「ここに置かれたらイヤだな」という場所に置くゲーム。それが西野兄弟ならではの「オセロ論」だ。だから最初に西野は、対戦相手の「兄の脳を一回頭に入れる」ようにした。兄の目線で駒の配置を見て、兄が置かれたくないであろう場所に、先に駒を置くのだ。こうして「他者目線」を培っていった。
現在、西野の絵本や文章は「言葉の力がすごい」と賞賛されている。これも、「他者目線」を彼が会得しているからに他ならない。西野は相手の頭の中の言語が何なのかを考え、相手の言語で語ってきた。お笑いの世界では、30秒や1分という短い持ち時間の中で、観客の心をつかまなければならない。より短い言葉、より心に刺さる言葉を選んでいくことで勝ち上がり、世に出られるようになるのだ。
自由を勝ち取るコツは、「こいつはだめだな、と相手に諦めてもらうこと」。相手の期待と全く違う方向へ、徹底して突き抜けるのが西野流だ。
アメリカの社会学者ローレンス・J・ピーターは、組織や社会は階層型をしていて、人は能力の限界まで昇進したら無能化すると説く。だから、会社の役職者はみんな無能レベルに達してしまう。これが「ピーターの法則」である。昇進して無能の仲間入りをしないようにするためには、あえて無能のフリをして、それを防ぐという方法もある。西野はそれを天然でやってのけている。
西野が自らに課しているルール、それは「1年に1つ、何かをやめる」というものだ。うまくいっている習慣から、何か1つをやめる。やめた分、新しいものを創造するのだ。
では、なるべく長い間エネルギーを持続させるコツはあるのか。西野は「人のエネルギーを吸い取ること」だと考えている。作詞家の秋元康が、これだけ長期間現役で輝いていられるのは、古いものを活用しているからではないか。例えば、「明日は明日の風が吹く」というような使い古された歌詞でも取り入れられる。曲は時代によって変わり、それを受け取る客層も一巡するからだ。
一方、小室哲哉は自らの才能によって作詞作曲し、時代を駆け抜けた。いずれも尊敬に値するが、長く現役でいるためには、人のエネルギーをうまく活用するほうが良いのではないだろうか。そうしたコミュニケーションのシステムを築くことが、西野の今後の課題でもあるという。
堀江貴文は小学生の頃、テストの点はよかった。だが、体を動かすスポーツ系の遊びは苦手だったという。そこで、ドッジボールではなく知的な陣取りゲームを流行らせるなど、どうしたら他の子より優位に立てるかを考えてきた。つまり、堀江は子どもの頃から「ゲームチェンジャー」だったのだ。
中学は地元の公立ではなく、久留米大学附設中学校に入学。入学祝いに、父が、社販で7万円のパソコンを買ってくれた。それからプログラミングを独学。バイト先から「システム移行をしてほしい」と頼まれたことが、初のプログラミングの仕事だった。堀江いわく、プログラミングに向き不向きはあるが、やらないよりやるに越したことはない。ただ、技術の発達した今なら、パソコンではなくスマホでもよいかもしれないという。
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