本書は、「自らの意思で学ぶ」という本来の自己啓発からはずれた、科学に立脚していない自己啓発ブームに警鐘を鳴らすためのものである。
現代の日本では、自己啓発が流行している。自己啓発にはまりやすい人の属性は、大卒の正社員の男性であり、体育会系の背景を持っている。これは大企業のビジネスパーソンの属性に近い。
これからの日本は人口減少、社会福祉の後退とともに衰退していくこととなる。それに伴い、社会不安が増大し、自己啓発ビジネスへの需要も高まっていく。
こうした環境下では、FUDというマーケティング手法が用いられる。FUDとは、「不安(Fear)」「不確かさ(Uncertainty)」「疑念(Doubt)」の頭文字を取ったものだ。
日本というタイタニック号は、沈没間近な様相を呈している。こうした時代では、救命ボートとなる資産の形成を急ぐべきだと説く、自己啓発が流行しやすい。自己啓発ビジネスを仕掛ける人は、社会不安に煽られ、わらにもすがりたい人たちに自己啓発というわらを売る。そして、その儲けによって資産を形成し、自らの救命ボートを確保していく。すなわち自己啓発ビジネスは、人々の「漠然とした不安」を食い物にする貧困ビジネスなのだ。
自己啓発では金銭的な成功を実現できない。本当に効果があるのならば、科学的な検証の対象として世界的な研究テーマになっているはずだ。
ある調査によると、我々の収入の42%は遺伝で決まっているという。くわえて、生まれ育った家庭の影響は8%に及ぶ。これらを足せば収入の50%は、自分ではどうすることもできないことがわかる。また、残りの半分にも、上司や先輩、仕事の内容といった、自分ではコントロールできない要素が含まれている。
もちろん、親が富裕層でなくとも、知力が優れていなくとも、環境に恵まれていなくとも、成功する人はいる。しかし、それは宝くじに当選するようなものなのだ。
この「宝くじに当選する方法」を売るのが、自己啓発ビジネスの王道である。本来なら、金銭的な成功を収められないのは、本人の努力不足ではなく確率の問題だ。その真実を知った人は、絶望に直面する。
とはいえ、自己啓発によってこの絶望から目をそらしていては、何も積み重なることのない人生を送ることになるだろう。著者にとっての哲学とは、この絶望と向き合い、積み上がるわずかな真実とともに生きる道なのである。
ところで、自己啓発と哲学の決定的な違いは何なのか。それは、好奇心を示す対象の違いである。自己啓発は、自分という個別性の高い対象を扱い、自己啓発を「信じる」ことを前提とする。一方、哲学は、世界一般に適用できる真理を対象とし、過去の真理を「疑う」ことを前提とする。
中身のある人物として知られる人たちは、往々にして自分の外側にある世界に対して好奇心を抱く。たとえば北野武やタモリなどがそうだ。彼らは役に立たなさそうな知識を大量にもっており、彼らの軸は、そうした知識の体系である哲学によって形成されている。
本来、こうした哲学こそ、自分の中心に何もないことを潜在的に知っている人たちを救ってくれる。そして、外の世界に好奇心を抱くときこそ、自分の中心が豊かになっていく。本当に面白い人は、自分の内面ではなく、世界の真理を探求しているのだ。
哲学を学ぶとき、基本的には西洋の哲学者から学ぶことになる。これは、東洋思想には決定的な弱点があり、それを有効活用することが難しいためだ。その弱点とは何か。
東洋思想は「宇宙の真理を悟った人物の存在を信じる」。これに対して、哲学は「宇宙の真理に向かって、少しでも疑えない事柄を積み上げる」。東洋思想では、真理を悟った人物が、その真理について言葉で説明しようとしない。「真理へは言葉による思考では到達することができず、体験するしかない」と考えるためだ。それゆえ、「できるかぎり疑えない言葉による思考の体系」である哲学にはなりにくいのだ。
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