世の中には好きな仕事をできていない人、または自分が好きなことが見つかっていない人が大勢いる。著者は学生時代にバイトでやりたくない仕事を経験したことはあるが、それ以外はアニメーター時代から漫画家時代を通して、仕事を苦痛だと思ったことは一度もない。
だからこそ「好きで好きでしょうがない」ものを見つけるべきだと語る。もし見つかっていなければ、映画でも音楽でも車でもなんでもいいから、若いころに夢中になったことを思い出してみるといい。きっとなにかが見つかるはずである。
『こち亀』の連載がスタートしたのは1976年だ。それまで雑誌に掲載されるマンガは、ほのぼのした作品が中心であった。当時そこへ新たに登場したのが、リアルな絵と派手なストーリーのハードボイルドな劇画である。
著者もその影響を強く受け、初期の『こち亀』は中期・後期のものとはまったく違う雰囲気であった。ギャグマンガであるが、リアルなタッチで書き込まれ、主人公もハチャメチャな性格で描かれていた。この劇画風味のギャグマンガという斬新なアイデアで、『こち亀』は大きな反響を呼んだのである。
しかし連載が長期化するなかで、そのテイストでは先が見えなくなってきた。そんなとき担当編集者から、「下町をテーマにしてはどうか」という提案があった。これは著者にとって意外なものだった。『こち亀』の舞台が下町であったのは、著者が東京の下町生まれというだけである。当初は下町をテーマにするということなど、考えてもいなかった。
最初は近所の話をテーマにしていいのかと半信半疑であったが、ベーゴマのことや浅草の話などを描くと、意外にも読者から好反応があった。著者にとっては当たり前だった下町の日常が、当時の子供たちには珍しかったのだろう。下町のネタは尽きることなくあったため、『こち亀』は下町路線へと大きくシフトしたのである。
それ以降も『こち亀』は初期に設定した路線にこだわらず、ミリタリーやゲーム、デジタル機器など、そのときどきで著者の好みにあったものを取り入れて変化していった。もしハードボイルド風味のギャグマンガだという初期設定にこだわり、内容を変化させなかったとしたら、40年も連載を継続することは不可能であった。変化を恐れないことは重要だ。そしてそれはマンガ以外の仕事にもいえる。
マンガの世界は、結果がものをいう世界だ。いくら徹夜して努力して描いたマンガでも、読者から人気がなかったら、その努力はまったくの無駄である。そこはプロスポーツ選手と同様で、シビアなものだ。そのため著者は、誰でも漫画家になれるとは思っていない。本人がいくら努力しても、ダメなものはダメということも確実にあるからだ。
やりたい仕事のために一定の努力は必要だが、実りがないのにいつまでもがんばり続けるのは、無駄になるおそれがある。「これじゃなきゃいけない」「これがだめだったらもう終わりだ」といくら意地を張っても、かならず報われるとは限らない。ときには「とっとと見切りをつけて次に移る」くらいのタフさも、人生には必要である。
週刊誌の連載は恐ろしいことに、週に一度かならず〆切がやってくる。しかし著者の場合、〆切を恐いと思ったことはほとんどないという。
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