冷静さは万事の基本だ。成功したいのならば、まずは心を静めて、人生の目標を定める必要がある。そうすれば、周囲の喧騒や誘惑に惑わされず、集中力を発揮できる。諸葛孔明(以下、丞相)は、劉備に「三顧の礼」をもって迎えられるまで、晴耕雨読により平常心を身につけてきた。
人生は思いどおりにいかないものだ。しかし、失敗を悔やんでも物事は解決しない。過去を悔いるのではなく、心を平静に保ち、この次に同じ問題に遭遇したらどんな解決法があるかについて考える。すると多くの希望が見出せるようになり、未来に向かって進む力もみなぎってくるだろう。
長い人生においては挫折することもあるし、不幸にも災禍に見舞われることもある。そんなときも冷静な心で状況を把握し、努力すれば、次善の策が見えてくる。そして、必ず成功に向けて歩き出すことができる。
一方で、欲や悩みは、冷静さを保つうえで害となる。私欲は心を狭くし、自分の名を売ることに邁進させる。春秋時代においては、魏の軍師と仰がれた龐涓(ほうけん)は、出世欲の強さが災いして、仲の良かった弟弟子を陥れた。その結果、志を成すことなく、自分自身の死と魏の滅亡を招いてしまった。
また悩みは、人を破滅させる力を持っている。悩みをもつと意識が狭まり、理解力が衰え、理知と自制心を失う。こうして悩みは人々から努力を奪ってしまうのだ。
成功に向けて計画的に人生を送りたいのであれば、学び続けなければならない。そのうえで、学んだことを実践に生かしていくことも大切だ。継続して学ぶことで、知識が増え、思考の幅は大きく広がっていく。一般的に創造力が必要だと考えられる発明や計略も、実は蓄積された知識を組み合わせて思考した結果、生まれるのである。
しかし、どんなに知識を得ても、それを使わなければ発明や計略は生まれない。知識は使うことではじめて、世に役立つ巨大な力ともなり得るのだ。
丞相は、天文地理、兵器機械、農工計算、医学、占星術などを書物から学び取っては、それを実務に活用していたことで有名である。「赤壁の戦い」では、人間心理を活用して、一夜にして十万本の矢を調達した。夜陰で姿の見えない敵が迫ってくると、人は恐怖心から過剰に攻撃を加える。この心理を学んでいた丞相は、干し草を山のように積んだ船団を、あたかも夜襲のように敵方に近づけた。敵方は恐怖心から一斉に矢を放ったため、丞相たちは干し草に刺さった十万本の矢を、そのまま自軍に持ち帰ったのである。このように、知恵を実践に役立てられるかどうかで、その人の知識が正しいものかどうかを判断できる。
丞相にならって書物から学ぶ場合、書かれていることを自分ならどう応用できるのかを意識して読むと、内容が頭に入りやすいはずである。
人は充分満たされていると、そこで満足して向上心を忘れてしまう。そこで大切なのが倹約の心だ。倹約とは、収支の感覚が身についていることである。収支の管理ができれば借金に苦しまず、物欲にも惑わされない。倹約は、人や組織、国家を成長させる原動力にまでなり得る。
ところが、多くの人は物欲にまみれ、ぜいたくをしたいと考えている。しかし、この欲望のままに、私腹を肥やした指導者や高官たちはどうなっただろうか。みな、自国を滅亡させる、あるいは悲惨な最期を遂げるなどした。
古今を問わず、丞相ほど質素に生きた高官はいない。丞相が亡くなったあとに遺産を調べたところ、財産らしきものはほとんどなかったのである。修練によって自己を律していた丞相は、欲そのものが心から消えてしまっていた。
物欲とぜいたくは、諸悪の根源だ。成功したいのなら、一時的な利益に心を奪われたり、ぜいたくな暮らしを追い求めたりしてはいけない。
時間に管理されるのではなく、自分で時間を管理できるようになれば、人はいくつもの仕事を並行して行える。時間と効率は、現代人にとっても重大な問題だ。
時間には場面によってそれぞれの容量があることを理解しておきたい。一心不乱に物事に没頭している人にとって、時間はあっという間に過ぎる。これに対し、気の進まないことに悶々としていると、時間はのろのろとしか進まない。だからこそ、都度、自分の時間の容量を把握し、時と場合に応じて使い分けることが必要となる。これができないと、複数の仕事を同時並行でこなせない。
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