葉田さんの人生を変えた転機。一度目は2005年、大学2年生のときである。「150万円あればカンボジアに小学校が建つ」。そう書かれたパンフレットを、偶然、郵便局で見つけた。小学校が建ち、子どもたちが笑顔になる――。そんな未来へのワクワク感に導かれ、仲間を募り、いくつもの壁を乗り越えて150万円を集めた。
2006年には、カンボジアのコンポントム州に小学校が建設された。この軌跡を綴った小説『僕たちは世界を変えることができない。』は、2011年に映画化されている。
本も映画も大ヒットし、あちこちでちやほやされた。有名人気分だった。はっきりいって、調子に乗っていたのだ。その後医者になった葉田さんは、臨床の仕事に追われる日々を過ごすことに。先輩から毎日のように怒られた。
2014年2月、忘れられない出来事が起こる。当時29歳の葉田さんが、継続支援していたカンボジアの小学校を訪れたときのことだ。生後22日目の赤ちゃんが肺炎で亡くなってしまったという。自分を責め、お墓の前で泣き続けるお母さん。葉田さんは「かわいそう」と感じると同時に、「自分には何もできない」という思いがよぎり、声をかけられないまま――。
何を浮かれていたんだろう。一人の赤ちゃんの命さえ救えないなんて。葉田さんは自分の無力さを痛感した。国際協力に憧れていたが、世界で誰かの役に立ちたいという願いは、いつしか色あせていった。世間体や収入、キャリアを重視するあまり、やりたいことに踏み出す勇気がなくなりかけていたのだ。「僕は憧れたヒーローとは程遠かった……」。
それから8か月が経った頃、川原尚行さんとの出会いに恵まれた。彼は外務省の医務官としてスーダンに赴任したものの、現地の人たちのために働きたいとNPO法人ロシナンテスを立ち上げたという。ロシナンテスの主な事業は、母子保健事業や教育事業などだ。
「葉田くん、スーダンに来てみる?」
この一言が、葉田さんの人生を変えることとなる。3泊5日の弾丸ツアーでスーダンに飛ぶと、気温は常に30度超え。葉田さんは、地方では水道も電気も整備されていない実態を目の当たりにした。
川原さんはなぜ、この地で、現在の活動を続けているのだろうか。本人からはこんな答えが返ってきた。
「俺はね、ドキドキしていたいんよ。不謹慎かもしれんけど、こうやって活動することで、笑ってくれる人がいて、それがとても楽しいんよ」
安定した地位や収入を捨て、無給でNPO活動を始めた川原さん。普通なら、周囲の人が羨ましい、今の活動をやめたい、そんな風に思ったとしてもおかしくない。けれども、川原さんは「人と比べる幸せはやめた」と言い切っている。一定まで稼ぐと、それ以上は収入と幸せは比例しないからだ。
大人になっても、好きなことを一生懸命やればいい。そして、自分の決めた幸せに向かって生きてもいい。葉田さんは背中を押された気がした。
ロシナンテスが活動する現場に同行することで、明らかになってきたことがある。きれいな水があれば、川の水を飲む人が減り、下痢や感染症が予防できるということだ。
また、スーダンでは、医療教育を受けていない伝統的産婆が、出産に立ち会うケースが多い。もし医療教育を受けた助産師が適切な処置を施すようになり、妊婦検診や保健に関する医療人材が育成されるようになれば、確実に救える命が何万人もある。
日本では、きれいな水も医療や教育へのアクセスも、当たり前にそろっている。これほど幸せで、平和で、最低限の衣食住があれば、自分にとって本当に大切なこと以外は捨ててもいいのではないか。社会人になっても、覚悟を決め、ワクワクすることを追求し、スキルを身につけていけば、やりたいことができる。臨床医として、人間として、目の前の人のために自分ができることを実行していたら、次第に協力者の力が集まってくるにちがいない。
嘘偽りなく、今の活動を「僕の幸せ」と語る川原さんとの交流を通じて、そう葉田さんは心に誓った。
葉田さんにとって一番ワクワクすることは何か。それは「世界や日本の医療の届きづらい地域に、医療を届けること」だ。そのために、まずは日本の僻地で引き続き臨床医として、一心不乱に働こうと決めた。
川原先生との出会いから1年後、葉田さんはカンボジアを再訪した。小学校建設時からお世話になっているガイドのブティさんとともにめざしたのは、1年以上前に赤ちゃんを亡くして泣いていた、あのお母さんの家だ。もし赤ちゃんが生まれた頃に、近くに診療所があったらどうだったのか。お母さんに十分なお金があって、早めに受診できていたら、そして救急車や道路が整備されていたら、赤ちゃんの命は救えたのではないか。自分に何ができるのかを葉田さんは考え続けた。
行動して、批判されるのを恐れる必要はない。恥をかいてもすばやく失敗し、そこから反省して軌道修正すればいい。葉田さんがそう思えるようになったきっかけは、長崎大学熱帯医学研修課程で3か月間学んだことだ。そこでは、途上国の僻地で赤ちゃんを救う方法を、日本で唯一学ぶことができる。多くの恥をかき、無力さと絶望に打ちのめされそうになったのも一度や二度ではない。
「僕は一般的に医療者が歩む道から外れてしまった」
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