私たちの生活や仕事に、次々と押し寄せてくる「不本意な現実」。その原因は、私たちが持っている内的世界のメンタルモデルにあるのかもしれない。
一般的に使われるメンタルモデルとは、認知心理学の用語で、現実を認知する前提にある思い込みや既成概念を意味する。本書における「メンタルモデル」は、人間が幼少期に体験した痛みを、自分から切り離すために「自分もしくは世界とはこういうものだ」と無意識に決定づけた捉え方を指す。いわば、その人固有の最も深いところにある「信念」だ。これは著者らの独自の定義である。
人間の意識の成長・発達に関しては多くの研究があり、発達の階層構造も様々な説が説かれている。そのすべての説に共通するのが、人の発達の段階には、飛び越えなければいけない大きなギャップがあるということだ。深層心理学の用語では、これを「実存的変容」と呼ぶ。
この変容とは、親、会社、社会などの外側からの期待に応え、痛みを避けようとする生き方から、自らの魂の根源的な要求に沿って、現実を自由に創造する生き方への変容である。本書では、これを「分離」から「統合」へと表現している。
私たちの内的世界の構造は次のようなものである。コアにあるものは、「あるはずのものがない」という感覚であり、そこから生まれる「痛み」だ。あるはずのものとは、「自分はありのままで愛される」という無条件の愛である。同時に、「絶対的につながっている」という感覚から得られる安心感でもある。つまり「愛」と「つながり」のことだ。
メンタルモデルは、この痛みを自分から切り離すためのものであり、本人には自覚されない。いったんそれができあがると、それ以降の人生ではそのときの痛みを二度と感じまいとする「回避行動」で埋め尽くされていく。
回避行動には、努力によって痛みを乗り越えようとする「克服型」と、痛みに触れまいとする「逃避型」の2種類がある。こうした「あるはずのものがない」という感覚から始まった一連の内的世界のメカニズムを、著者らは「生存適合OS(オペレーションシステム)」と呼ぶ。
回避行動はその人がやりたいと魂から願っていることではない。そのため、いつまでたっても、たとえ成功者として世間から賞賛されようとも、「これは本意ではない」「どこか違う」という感覚から逃れられない。これが不本意な現実の正体である。
メンタルモデルは次の4つに類型化できる。
・「価値なし」モデル(私には価値がない)
・「愛なし」モデル(私は愛されない)
・「ひとりぼっち」モデル(自分はこの世界で所詮ひとりぼっちだ)
・「欠陥欠損」モデル(私には何かが足りない・欠けている)
メンタルモデルは一人ひとり違い、また誰でもこの4つの要素を持っている。だが、各自のメンタルモデルはこのうちのどれかに絞り込むことができる。
メンタルモデルは、積極的に何かをコントロールするわけではない。痛みの回避行動という形で、人生を無自覚のうちに制御している。その状態では、痛みが再来する「怖れと不安」に支配された人生といってよい。
こうした分離から統合への変容を果たすにはどうしたらよいのか。その道のりもまたメンタルモデルによって異なってくる。
人は誰もが「自分のありのままを愛されたい」と思っている。しかし、生まれてしばらくすると、周囲からの評価が始まる。成果や能力が評価されてはじめて、認めてもらえるようになる。そのため、期待に応えることで、自分は愛されるんだ、という思い込みができていく。このモデルの根っこにある痛みは、「自分がただありのままで存在しているだけでは、価値あるものとして認めてもらえない」というものである。
この痛みを避けるための回避行動は、能力を高め、自己価値を証明するために他人の要求や期待に応え続けるという、努力・克服型になりやすい。会社組織の中で、優秀と評価される人たちには、このモデルが多い。よくある口癖は、「やればできる」「それは意味があるのか?」である。
このメンタルモデルのリーダーは、責任感も達成意欲も強い。価値を出せる人間を集めて、事業を成長させようとひたすら価値の向上に邁進していく。
分離から統合への変容のカギは、他人に委ねていた承認軸を、自分が自分の価値を認めるという「自分軸」にどう転換できるかにある。「価値なし」モデルの人たちにとっては、自分の内なる声を聞いて、行動を選択できるようになることが目標となる。
愛は、一般的に愛情表現という行為をベースとした取引になっている。「愛なし」モデルの人は、愛情取引の天秤のなかで、「自分が求める愛はない、自分は望む形で愛してもらえていない」という痛みを抱えている。
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