パン類、麺類、菓子類など、小麦粉から作られる食品は多い。世界における小麦の生産量(2016年)は7億4900万トンで、トウモロコシの10億6000万トンには及ばないが、米の7億4100万トンに並ぶほどだ。小麦が広く普及した理由としては、気候条件の厳しいところでも栽培できること、水と混ぜて練れば多様な食品を作れることが挙げられる。
人類が小麦を栽培し始めたのは約1万年前、新石器時代のことだ。その結果、人類の社会は一大変革を遂げることとなる。動植物を追い求めて移住を繰り返す狩猟採集社会から、定住して農作物を収穫する定着農業社会になったのだ。
小麦の栽培が始まったメソポタミア文明の時代、小麦は、種子ごと粥状にして食べられていたと考えられている。時代が下り、エジプト文明の頃には、粉砕して皮部と胚乳部を分離して食べる習慣があったようだ。エジプト文明の壁画には、石でできたサドルカーンという粉砕器を使って穀物を粉砕している様子が描かれている。
小麦はやがて各地に広がっていく。ヨーロッパへは約8000年前にアナトリア(現在のトルコ)を経由してギリシャへと伝わった。それから1000年かけて、バルカン半島を経由してドナウ川を遡上する経路と、イタリア、フランス、スペインを横断する経路で伝わり、約5000年前にイギリスとスカンジナビア半島に達したとされる。
反対方向へは、シルクロードに沿ってイランから中央アジアを通り、約3000年前までに中国に達した。またエジプトを経由してアフリカ大陸にも広がっていった。
大西洋を越えたのは比較的最近のことだ。スペイン人によって1529年にメキシコへ、イギリス人によって1788年にオーストラリアにもたらされた。日本にやってきたのは、約2000年前の弥生時代のことのようだ。弥生時代の遺跡から炭化した小麦が見つかっている。
小麦が世界各地に広がると同時に、食べ方も変化した。小麦の皮部は臭気があり食べにくいため、皮部と胚乳部を分離しなければならない。分離のために、前述したサドルカーンに始まり、石臼を経て、一度に多量の小麦を粉砕できるロール式粉砕機が使われるようになった。やがて近代製粉法が確立されると、小麦粉を少しずつ粉砕しては篩(ふる)い分けるという製法に変わった。
日本蕎麦は、独自の食文化だ。だが植物としての蕎麦は、海外でも多く栽培され、麺以外の形で食されている。
蕎麦(ファゴピラム エスクレンタム:Fagopyrum esculentum)は、タデ科ソバ属の一年草である。蕎麦の花は美しいが、その臭いは強烈だ。これは、受粉にあたって、ミツバチやアブといった昆虫の力を借りるためではないかと考えられている。
蕎麦は、種まきをしてから70日~80日程度で収穫でき、痩せた土地や酸性土壌でも育つ。そのため日本では、救荒対策(飢饉対策の食べ物)として5世紀から栽培されてきた。
今日「蕎麦」と呼ばれているのは、蕎麦切(そばき)りだ。
現在のような蕎麦切りが食べられるようになったのは、16世紀末のこと。
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