以降の議論の前提となるため、本書の第1章で、前著である『理論経済学の本質と主要内容』についてまず概観している。既存の経済理論は、生産と消費の関係性が一定で変化しない、「静態的」な経済循環を出発点にしている。定常的な経済生活の中で、規則に従ってどのような現象が観察されるかを解明することが、純粋経済学の目標となっていたからだ。こうした「静学」において過去の経済学者たちは、均衡状態にある国民経済の変化は、その内部ではなく外部から来る「撹乱原因」、外部環境の変化によってひき起こされると考えてきた。
この静学の立場に立つと、経済の「発展」は特別な問題になりうる。たとえば、国民経済のある時点を観測して、そこに何らかの活動があったとしても、その活動は均衡状態を規則的に実現しているだけのものだとみなすか、あるいは均衡状態へ戻ろうとしている動きだとみなすのである。だからそこに「発展」は存在しないことになる。それは、現実にはそぐわない考え方だといえるだろう。経済活動が向かおうとしている先は、以前の均衡状態とは異なるものであるはずだ。
この本は、「静態」を基礎にした理論に一定の評価を与えながらも、生産や消費の内容、関係が変化する「動態」の状態こそが資本主義の本質であるという考えのもと、新しい経済理論を打ち立てようとしたものである。静止的で恒常的な条件を想定する「静態」には、「発展」が欠けている。ここでの経済発展とは、経済の内側から内生的・自発的・独立的に生み出される経済循環の変化のことだ。
そして、それを起こすのは、後で説明する「新結合」の遂行を行う「企業家」たちである。「静態」の理論の中には労働者や地主は存在しても、企業家や資本家が欠けている。この考え方を下敷きとして以下、経済発展について論じていく。
経済発展の理論の中で最重要なものとして位置づけられているのが、本書の第2章に登場する「新しい結合」「新結合」である。
既存の経済活動の中にすでに存在しているものに対して、新しい結合を与えてそれを具体化し、遂行することが、人々の活動の本質である。出発点である経済の静態的な状態では通常作られていないものが、新結合によって作られる。その新種のものは、静態的経済の価値体系の中では未知のものとして最初は対立するが、次第に価値体系に同化されていく。それに伴い、価値体系自体が多少なりとも変化していく。
新結合のもっともわかりやすい例は、それまで知られていなかった「財」の生産である。消費者がまだ見たことのなかった新しい生産物を創造すること、既知の「財」に対して新しい品質や新しい用法を導入することなどがこれにあたる。新しい生産方法の導入や新市場の開拓、大規模経営の導入、そして新企業の設立も新結合の一種である。
静態的経済の循環過程は、労働力や土地といったものがある特定の生産物に対する結合にはめ込まれている状態だ。既存の枠組みの中では最善と思われていた生産方法なども、制限を取り払いさえすれば、技術的・営利的にいくらでも改良可能なのである。しかし大半の人々は、よく考える力も暇もなく、これまでの生活基盤を危険にさらしてまで、慣れた方法に対して新しい結合を試そうとはしない。
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