資本主義経済は、成長を続けなければシステムを維持できないという宿命を持っている。その直接的な理由は金利にある。借りた資金以上の利益を生み出さなければ、利払いができないため、企業は売上拡大に邁進し続けなければならない。
ところで軍事の歴史をひもといてみると、近代戦をもたらしたのは鉄道の登場だ。それまでは指揮官の能力や兵の練度・士気などに依存していたが、鉄道の輸送能力を最大限に活用した数量が、勝敗を決める決定的な要因となった。戦争は鉄道網の登場で、国民皆兵という制度をもたらすことになる。
同様に経済社会においては、資金の輸送を金融機関が担うことで、苛烈な経済に移行することとなった。中世においては、宗教的理由により金利が禁止され、結果的に経済の暴走を抑えることができた。しかし近代になって金利が公認されるようになると、貯蓄が急速に膨らんだ。貯蓄が金融機関という資金の輸送網に乗れば、設備投資に結び付くことで経済社会に循環され、経済は浮力を維持して上昇できる。逆に貯蓄が投資に回らなければ、経済は下降してしまう。
資本主義経済では、経済全体の5分の1を連続的に投資する必要がある。その結果、生産量は際限なく加速度的に増加する。資本主義は、走り続けなければ崩壊するという異常性を内に抱えたシステムなのだ。
商工業に基礎を置く資本主義が不安定なメカニズムの上に立っているのであれば、昔の農業文明を再現すればよいと考えるかもしれない。だがそれは原理的に難しい。その理由は、産業としての機動力の差にある。農業の場合、供給はゆっくりと増やすことができるが、需要は人間の胃袋に限度がある以上、大きくは伸びない。そのため供給過剰になりやすく、値段が下がりやすい。一方で商工業の場合、競争環境が激しく供給の速度が速すぎるという不利はあるものの、変化する需要に応じて、次々と新しい市場に参入できることから、優位に立ってしまうのだ。
現代だと、農業に限らず一次産業や資源に依存する国は、生産量を増やせば増やすほど値下がりを招くことになり、経済的に困窮しやすい。一方で、有利に立つ商工業の側にも苦労の種がある。ある品物が「儲かる」と判断されると、ライバルが怒涛のように参入し、たちまち過剰生産に陥って、恐慌状態に近い値崩れを引き起こす。このような状態から脱出するためには、技術革新が必要だ。近代社会の経済は、需要の飽和と技術革新によるブームの創出で、浮き沈みを繰り返しつつ成長する波状カーブを描いてきたのである。
インフレやデフレは、貨幣と品物の量的比率のバランスが崩れることによって起こる。社会全体の貨幣の量が、品物よりも多い状態がインフレだ。インフレは、貨幣の増加や品物の減少により引き起こされる。第一次大戦後のドイツが賠償要求に応えるために紙幣を乱発したときや、石油ショックで品物が不足した際には、大規模なインフレが発生した。
加えて、循環作用の中のインフレもある。多くの場合、値上げは原材料の値上げを販売価格に反映することで行われる。原材料の供給先も、運賃や電気代の値上げを理由に値上げする。このように、循環する経済のどこかで値上げが発生すると、多くのものが値上げすることになり、インフレが起こる。
一度インフレになると、企業にとって有利となる。値上げがしやすく、貨幣の価値の低下で、借金を実質的に減らせるからだ。一方で、デフレは物価と賃金の下落により、最終的には社会をどんどん貧しくしてしまう。
経済問題を考える上では、貿易のメカニズムへの理解が不可欠である。
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