相手に何か言われたとき、「わかっているよ」「知っているよ」と答えるのは、嫌われる話し方の典型だ。この言葉を受け取った人は、「うるさい。もうそれ以上話すな!」と言われているように感じる。なぜなら「わかっている」という話し方は、「あなたよりよくできる」というニュアンスが生じ、「違い」を強調することになるからだ。
「違い」というのは、コミュニケーションにおける重要なキーワードのひとつである。一般的に人と協調したいときは「相手と同じところを見つけ」、逆に人と対立したいときは「相手との違いを見つける」ものだ。これは1対1のコミュニケーションから国と国の外交まで、すべてに共通するコミュニケーションの原則である。
では、どうして私たちは「違い」を強調し、わざわざ相手と自分を分断しようとするのか。それはコミュニケーションにおけるもうひとつのキーワード、「比較」と「競争」に関連している。私たちは無意識に自分を他の人と「比較」し、「競争」している。だから自分が知らないことを相手に知られないようにするため、「わかっているよ」「知っているよ」という言葉が出てくるのだ。それは「負けてしまうと相手に自分を受入れてもらえないのでは」という恐れからの行動である。
だが、もしコミュニケーションの目的が「相手に受け入れられること」ならば、この方法が正しいとはいえない。相手と協調するには、相手との違いではなく、同じところを見つけることが原則だからだ。もしも深い意図がなく、ただの相づちとして「わかっている」「知っている」という言葉を使っているなら、いますぐ改めることをおすすめする。相手がその言葉に、「違い」や「競争」の意味合いを感じとってしまうからである。
会話の中で「要するに」「つまり」を使い、相手の話をまとめがちな人は要注意だ。これは、「自分は頭がよい」と自負している人にありがちである。誰もが、自分の話を勝手に要約し、一般化してほしくないと思っている。なぜなら「自分の言うことは一般論でまとめることができない、特別なことだ」と思っており、そのまま受け止めてほしいからだ。
それでも「要するに」とまとめるのは、相手を受け入れることよりも自分の優秀さのアピールを無意識的に優先させるためだ。そして自分の優秀さをアピールし、自分を認めて受け入れてほしいと考え、話す方も聞く方も「受け入れてほしい」という欲求がぶつかるとき、コミュニケーショントラブルが発生するのである。
また、「ところでさ」「それよりね」と相手の話を遮り、話題を勝手に変えることにも気をつけたい。話すほうは会話を弾ませているつもりでも、相手にとっては「投げた言葉のボールがちゃんとキャッチされていない」「自分の言葉が宙ぶらりんになっている」ように感じられるものだ。その結果、「あなたの話には興味がありません」、つまり「あなたを受け入れません」と解釈されてしまう。逆に言えば、もし相手に対して優位な立場に立ちたかったり、意味のない延々と続く話を遮りたかったりするなら、有効なテクニックである。
気がつくと、いつも自分のことばかり話す人はいないだろうか。とくに日本語は主語を省略しがちなので、話のなかに「私」という言葉が一定以上の頻度で出現すると、それだけで相手は漠然とした不快感を持つ。
たとえ謙遜や卑下での表現であったとしても、相手が受け取るのは「私はこういう人です、だから認めてください」という印象だ。そう思われないようにするには、
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