20代で入社した広告会社で念願のクリエイティブ試験合格を果たし、広告業界の花形であるCMプランナーとして働いていた著者は、いつしか自分の仕事に疑問を抱くようになった。「広告作業」は、納品しては次、納品しては次の繰り返しだ。100人規模のチームで数か月かけて作ったCMの放映は1〜2週間。生活者の顔を見ることもなくパソコンに向かう毎日で、どこか仕事に手触り感がない。
こんなむなしさを抱えている人は、きっと自分以外にもたくさんいるのではないか。自分が納得できる仕事を求めて、著者は広告の本流からは逸れ、マンガの連載や、広告したい企業へ飛び込んで勝手に広告を作るという運動を始めた。そうして広告業界の隅っこで自分のペースで働ければいいのかな、と思いはじめていた頃、転機が訪れる。
2013年1月、著者ら夫婦に長男が誕生する。生後3か月ほどして、彼の目が見えないことがわかった。著者は得意としていたはずの「ちょっと笑える」仕事がまったくできなくなってしまった。頭の中は絶望で占められ、ギャグが思いつかないし、コピーが書けないのだ。
息子は幸せなのか。目の見えない子はどうやって育てたらいいのか。希望を探して、著者は障害当事者に会いに行くことを思い立つ。障害のある人、その家族や雇用している経営者、3か月にわたり200人を超える人たちと会う日々の中で、多くの発見があった。彼らの生き方や暮らしそのもの、困難の乗り越え方や幸せの定義、それぞれの考え方を知ることは、著者にとって「学びなおし」の機会にほかならなかった。
そして、障害当事者を含めた「マイノリティ」の課題や価値を、自分の持つ「広告」の力で輝かせることができるのではないかと思うようになる。2014年、ブラインドサッカー世界選手権のために、「見えない。そんだけ。」というコピーを書いた。それまでにいくつものコピーを考えてきたが、これほど感謝されたことはなかった。ポスターが公開されると、開幕戦はチケットが完売し、パラスポーツとしては異例の動員になった。
ブラインドサッカーとの関わりをきっかけに、著者は広告の力をもう一度信じられるようになった。そして、障害のような「マイノリティ」を起点に、世界をより良い場所にする、「マイノリティデザイン」を、自分の人生のコンセプトにしようと決めたのである。
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