「高度な知能を持つ機械」をつくる夢は、コンピューターの台頭により現代科学の一分野となった。人間の思考や論理を「記号処理」という機械的操作で解釈しようとする試みが、構想のきっかけとなった。
この分野は1956年夏、ジョン・マッカーシーやマーヴィン・ミンスキーといった若き数学者らが米ダートマス大学で開いた小規模研究会から始まった。自然言語処理、ニューラルネットワーク、機械学習、抽象概念と推論、創造性といった今なお議論が続くテーマが計画書に並んだ。「人工知能」という言葉を用いたのはマッカーシーであり、その後全体の目標がまとまった。通称ダートマス会議だ。
出席者らはAIの実現を楽観視していた。1960年代初頭、マッカーシーは「完ぺきな知能を持つ機械」の10年以内の実現を目指し、スタンフォード人工知能研究所を新設した。MIT人工知能研究所を設立したミンスキーも「一世代のうちに『人工知能』の実現に向けた問題点はおおむね解決されている」と予測した。
ところが楽観的な予測はいずれも実現していない。人工知能の中心概念である「知能」の定義も今なお明確でない。著名な研究者らの委員会はAIを「知能を合成することで知能の特性を研究している、コンピューター科学の一分野」と定めた。
ダートマス会議では、AI開発の手法に関し、数理論理学と演繹法、統計や確率論を用いた帰納法、脳機能把握のための生物学や心理学からのアプローチなど、さまざまに提唱された。
AIは草創期から、数理論理学や人の思考過程の説明方法に着想を得た「記号的AI」と、神経科学に端を発する「非記号的AI」とが存在してきた。ダートマス会議以降、言葉や句といった人間にわかりやすい記号的AIプログラムが主流となった。
一方、初期の非記号的AIには1950年代終盤に開発されたパーセプトロンがある。パーセプトロンは対処できる問題の限界をミンスキーらに指摘されもしたが、現代AI分野の最有力ツール、深層ニューラルネットワークの源流となった。
記号的AIの支持者らは、会話・言語の理解や自動運転車といった領域で近く画期的成果を出せると主張し、米英政府などから助成金を得た。しかし1970年代半ばになっても成果は出ず、失望感から助成金は大幅に削減された。AIをめぐるこの期待と失望のサイクルは5~10年周期で繰り返している。すなわち、新発想から顕著な成果が得られるとの楽観論が広まり、メディアが煽り、政府も投資家も援助するのが「AIの春」。一転、成果が乏しいと支援が打ち切られ、助成金や投資資金が底をつき、研究が頓挫する。これが「AIの冬」である。
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