地政学は英語ではgeopoliticsと呼ぶ。地理学geographyと政治学politicsを足し合わせた造語だ。地理学には自然地理学と人文地理学があるが、人文地理学は人間と自然との関わり合いの中で生み出したものを研究対象とするため、地政学はその一部と考えることもできるだろう。
地政学という学問自体には歴史があるが、それはつまり何かと問われたら、次のように答えたい。「ある国や国民は、地理的なことや隣国関係をも含めて、どのような環境に住んでいるのか。その場所で平和に生きるために、なすべきことは何か。どんな知恵が必要か。そのようなことを考える学問」である。
地政学とは何ぞやという質問にはもっと簡単な回答がある。「国は引っ越しできない」ということを前提に存在している学問である、と。地政学的な知恵は、人間が定住するようになってから必要になってきたと考えられる。
人類が定住を始めたのは1万2000年前頃からと考えられており、人類にドメスティケーションと呼ばれる現象が起こった。人類は食糧を追いかけて移動し続ける生活を止め、狩猟採集生活から農耕牧畜社会へと転換していったと考えられている。
良い場所だと思った地点に定住するようになると人口も増え、そのうち近隣に乱暴な連中も住みつくようになり、トラブルが起き始める。天候不順などが長期にわたって続いたりもする。移動しなくなった人類は隣人や災害への対策に知恵を絞る。こうして、地政学的問題を人類が抱えるようになったのだ。
世界史上で最初に地政学的な問題が登場するのは、エジプトとメソポタミアの関係だ。メソポタミアは世界最古の文明が登場した場所であり、エジプトのナイル川のほとりはその次に文明が生まれた場所だからだ。気候が温暖で豊かな川が流れ、穀物がよく実る場所である。ドメスティケーションはメソポタミアから始まったと考えられる。
メソポタミアとエジプトに文明が栄えると両者の間に交易が生まれ、互いに往来するようになった。その旅程で通過するシリアやパレスティナの地が自分の勢力範囲にあれば商売が楽になると考え、支配しようとする野望を抱くようになる。その結果、シリアやパレスティナに小国を築いていた民族は二つの大国の巻き添えを食うことになった。BC1274年に起こったカデシュの戦いはその代表的な一例だ。この戦いでは、世界最古の平和条約も交わされている。
揚子江とも呼ばれる長江は中国の地政学的中心であり続けた。農産物生産の中心地はその流域であり、特に南側の江南が豊かな土地だ。そのため強力な遊牧民が中国に入ってくると、漢族を中心とする王朝は長江の南に逃げて新しい国を作った。長江は大河であり騎馬軍団が渡河するのは難しく、天然の要塞となったのだ。
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