1998年の夏、18歳の著者はバングラデシュにいた。グラミン銀行のインターンとして、その地を訪れた。何不自由ない家庭で育った著者にとって、貧困や飢餓で苦しむ人がこの世界にいることは、「誰かが解決しなくてはならないこと」だった。
著者はその課題を解決するために、人生を賭けてみたい、と考えていた。それこそが、当時の著者の、まぎれもない将来の目標だった。そして、その目標を叶えられる世界で唯一の機関は国連だと信じていた。国連が行っている支援活動を間近で見ることが、バングラデシュへ行く最大の楽しみであったのだという。
しかし、希望に満ちた将来につながるはずのその地で見た現実は、著者の目を大きく開かせるものだった。日本から想像していた食料不足という現象と異なり、バングラデシュでは、山ほどコメが採れる。毎日の食事にカレーが出てきて、ほとんどの人は腹を満たすことができるくらいの炭水化物は得ることができるのである。
それよりも問題なのは、子供の成長に不可欠であるタンパク質やミネラル、カルテノイド、不飽和脂肪酸等を供給する、野菜や肉、フルーツ、牛乳などの食品がまったく足りていないことだった。国連も栄養指導などを通じて栄養素を摂取する必要について教育しているが、栄養素自体が足りていないし、そのような食品は新鮮なまま持っていくことが難しいものばかりだ。すなわち、解決する方法がこの世にないのである。「うーむ。このまま国連を目指しても、自分の夢は叶わないかもしれないぞ」。このときの経験によって、著者は当初考えた人生プランを考え直すことになる。
東大農学部で勉強をしながら、世界から栄養失調をなくす計画を真剣に考え続けていた。『ドラゴンボール』に登場する万能性を持つ食料、「仙豆」のような食べ物がないか、思案していたのである。ただ、調べた結果わかったことは、「牛肉には十分なビタミンCが存在しないし、植物は魚が持つDHA(ドコサヘキサエン酸)を合成する遺伝子を持っていない。つまり植物は植物固有の栄養素を作り、動物は動物固有の栄養素を作っていて、人間という生き物は、植物と動物の両方をバランスよく食べないとダメなんだ」という当たり前すぎる事実だった。
そんなときに、ふと鈴木と話す機会があった。鈴木は、現在、ユーグレナの取締役で研究開発部長を務めている人物で、当時東京大学農学部に在籍していた。投資コンテストではノーベル経済学賞の理論を使いこなして圧勝する、本物の天才と思える人であった。そんな鈴木に、「仙豆なんて夢の食品、現実にあるわけないよなあ・・・」と諦めモードでつぶやいたところ、あっさりと言われたのが、「でも、ミドリムシなら仙豆に近いんじゃないですか。植物と動物の間の生き物ですから」という言葉だった。しかも同時に、後に「ミドリムシ仙豆プロジェクト」と勝手に呼び始めることになる計画は、すでに10年以上前から日本に存在していたことを知った。
それを知った後、すぐに当時のプロジェクトを推進していた教授に会いにいった。しかしその時に言われたことは、ミドリムシの培養は本当に難しく、結果としてミドリムシの研究は進んでいないという事実だった。
2004年の4月に三菱東京UFJ銀行に就職した。銀行に就職したのは自分の「弱さ」が理由だった。
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