在宅勤務を勧められても頑として受け入れなかった同僚が、コロナ禍でテレワークを推奨されるようになったとたん、まるで掌を返したように出社しなくなった、という話がある。暗黙の行動規範がコロナ禍で逆転し、かれらの行動規範まで変えてしまったのだ。
テレワークでも、上司からの監視や、同僚の出社への罪悪感に関する声もある。リモート会議における席順という理不尽な慣習に従わざるを得ず、頻繁に開かれエンドレスに続くリモート飲み会に閉口している人も多い。
仕事だけではない。あらゆる行事が中止になり、マスクなしに外出すれば冷たい目線が送られるようになっている。新型コロナウィルスの蔓延により、私たちは日本社会の同調圧力がいかに強いかを、あらためて目の当たりにさせられている。
同調圧力は、功と罪の両方を抱えながら、日本社会に深く浸透しているものだ。
職場ではみな身なりを整え、後輩は先輩を見て振る舞いを学ぶ。学校や地域の環境が守られているのも、治安がよく、災害時などにも秩序正しく行動しようとするのも、厳しい世間の目があるからこそだ。
一方で、同僚が休まないと休暇を取りづらい、自分の仕事を片付けても周りが残っていると帰りにくいといった問題は、多くの人にとって身近なものだろう。大人でもそうなのだから、より世間の狭い子どもにとってはいっそう深刻だ。仲良しグループの中では細かい掟があり、返信を遅らせないためにトイレにまでスマホを持ち込まざるを得ない状況は、正常な域を超えている。
コロナ禍のもとで、同調圧力の弊害や問題点が指摘されるようになった。さまざまなデータを見ると、個人にとっても、組織や社会にとっても、同調圧力のマイナス面が、プラス面を上回りつつあるといえる。ITやSNSの影響があり、いちだんと危険性を増してもいるのだ。
日本人だから、というだけで、この問題を片付けるわけにはいかない。日本人は本来集団主義的である、周囲に同調しやすい性質がある、とは決めつけられない。だとすれば、やはり社会環境に原因があると考えるべきであろう。
集団(組織を含む)は、大きく2種類に分けることができる。1つは、家族やムラのような、自然発生的で情によって繋がる「基礎集団」。もう1つは、特定の目的を追求するためにつくられた「目的集団」である。おおまかに、基礎集団は「共同体」、目的集団は「組織」に相当するといえる。したがって、企業や学校、政党などはいずれも組織であるはずだ。
ところが日本では、企業さえも共同体のような性質を持ってしまっている。
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