資本主義による世界の支配は2つの異なるタイプによって達成された。ひとつは過去200年かけて欧米で徐々に発展してきた「リベラルな能力主義的資本主義」。もうひとつは、アジアの台頭を後押しした、国家が主導する「政治的資本主義ないし権威主義的資本主義」である。この両者は、政治、経済だけでなく、規模は小さいが社会の領域でも異なっている。
西欧および北米と、アジアとの間の再均衡化によって、欧米の軍事的、政治的、経済的優越は終わりを迎えつつある。今日、この2つのタイプの資本主義は互いに競り合っているようだ。これらのモデルをそれぞれ牽引するのは、アメリカと中国である。特に注目するのは、この2つのシステムが生み出す社会的・経済的構造だ。
リベラル能力資本主義とは、「モノとサービスがいかに生産され交換されるか(資本主義)、それらが個人間でいかに分配されるか(能力主義)、社会的移動性がどれぐらい存在するか(リベラル)にかかわるもの」である。
資本主義では、資本の所有者と労働者で純所得がどのように分配されるかが重要となる。19世紀の古典的資本主義や、社会民主主義的資本主義と比べると、リベラル能力資本主義は不平等を強化する特徴を示している。古典的資本主義では、資本家はほとんど資本から、労働者は労働からしか所得を得ていない。一方リベラル能力資本主義では、「資本金持ち」は同時に高額な給料も稼ぐ「労働金持ち」であり、純所得に占める資本のシェアが高い。さらに、世代間の不平等の移転がより大きい可能性もある。
技術革新の発生による高スキル労働者の不足といった偶発的な要因ではなく、前述のようなシステム的な要素に注目していく必要がある。それは、脱工業化時代の労働組織の分散化、グローバルな労働供給の増加、教育等の平等化といった背景によって生じた。
ピケティが示した重要な公式、「r>g(資本収益率が経済成長率を上回ることを意味する)」を理解していれば、資本所得シェアの上昇がリベラル能力資本主義のシステム的特徴であることがわかる。このシステムのもとで資本家は、貯蓄をして利益を再投資するのである。
過去30年間のアメリカやイギリスといった国の不平等の水準を見てみると、資本所得は労働所得よりもはるかに不平等に分配されていることに気づく。しかもその不平等は時と共に拡大している。資本所得が極度に集中し、もっぱら金持ちがそれを享受するのは、リベラル能力資本主義の構造的な特徴だ。しかもこれが高い労働所得と結びついているため、資本への課税といった不平等を縮小させる経済政策の導入ははるかに難しくなる。
政治的目的による資本主義のマックス・ヴェーバーの定義は、「経済的利益を得るために政治的な力を使用すること」だ。やり手な官僚に経済成長を実現できる政策の実行を任せることが、その重要な特徴である。
1970年代の終わりから90年代の半ばにかけて中国の卓越した指導者だった鄧小平は、現在の政治資本主義、すなわち民間部門の活力と官僚による能率的支配、一党政治体制を結びつけた人物と言える。鄧小平の考える経済改革とは「事実から学ぶこと」であった。
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