「意図」とは、大まかに言えば「人が考えている内容」だ。ここでは言葉の辞書的な意味や、文そのものが表す内容を「意味」、それらの単語や文にのせて話し手が聞き手に伝えたい内容を「意図」と呼ぶ。両者の違いを示すわかりやすい例は、ダチョウ倶楽部・上島竜兵氏の「絶対に押すなよ!」である。この言葉の文字通りの「意味」は「押すな」だが、熱湯風呂のふちでこのフレーズを口にする上島氏の意図は「押せ」である。
「意味」と「意図」のずれは日常的に見られ、混乱の種になることもある。しかし、話し手と聞き手の間に了解があれば、このずれをうまく利用することもできる。合言葉はその典型だ。「山!」に「川!」と返す合言葉では、「山」も「川」も本来の意味は関係ない。合言葉は互いの了解さえあれば、言葉である必要はなく、車のランプを5回点滅させるのを「アイシテル」のサインにすることもできる。
話し手も聞き手も「自分は文字通りの意図で話している/理解している」と思っているのに、実は暗黙の了解が働いているケースも多々ある。こうしたケースは、「言葉を適切に理解できるAI」を実現する上で大きな課題だ。例えば「回せ」という指示は、「回す」という言葉さえ理解できれば誰でも実行可能だと思われるかもしれない。しかし、人間は「相手の意図している回し方」を暗黙のうちに理解し、適切な回し方を選んでいる。バトントワリング用のバトンを「回せ」と言われたらバトンが円を描くように回し、肉の刺さった串を「回せ」と言われたら串を回転軸として回すだろう。扇風機を「回す」のだったら、電源とスイッチを入れるはずだ。
AIにとって、「回せ」という指示だけでこうした意図を的確につかむことは難しい。意図を特定する手がかりが、言葉の意味の中にはないからだ。これを判断させるには場面や相手についての知識やそれまでの文脈といった、広い意味での「取り決め」の共有が必要なのである。
本書は、東京大学出版会が毎月発行している『UP』という冊子に掲載されていた、同名の連載をまとめたものである。連載開始時に、同誌に連載しているある先生からちょっとしたクレームが入った。連載タイトルに含まれる「バーリ・トゥード」という用語についてまったく説明がない、ということだ。なぜ著者は「バーリ・トゥード」を説明しなかったのか。それはプロレス、総合格闘技ファンの著者にとってあまりに当たり前の用語で、耳慣れないと感じる人の方が多いということを忘れていたからだ。ここから、自分と他人の知識状態に注意を払いながら、状況に応じて用語を適切に導入するための条件について考えてみよう。
例えば、著者が知人の女性に、「私、バーリ・トゥードの試合を見てみたいんだ。あれ、生で見たらすごいと思うよ」と、何の説明もなくバーリ・トゥードという言葉を出す場合、「その言葉が自分と相手の共通知識に含まれている」という思いが表れている。この発言が相手を困惑させない条件は、(1)相手がバーリ・トゥードが何かを知っている、かつ、(2)そのことを私が知っている、ということである。本当にこれで十分だろうか。
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