著者の鷹鳥屋明氏は、普段は日本の企業で働いている。派遣やIP(知的財産)関係の事業戦略を担当し、グッズの制作・販売など、日本のコンテンツを海外に展開する手伝いをしている。
いろいろな企業や政府からの中東に関する悩み相談を請け負ったり、駆け込み寺のように案件処理を担当したりすることも多い。中東にまつわる「トラブルバスター」として知られている。扱うジャンルはエンターテインメント系・調査・観光・日用品・食品・医薬品・化粧品・テクノロジーなど幅広い。
商品やイベントを持っていくときに、現地の風習に適した表現になっているか、現地の法律、実践的な商慣習はどうなっているのか、詐欺案件の看破まで、さまざまなアドバイスを行っている。
中東で最もその名を知られた日本人のひとりとして、王族ともさまざまな付き合いがあるなど、独自の立場を確立した存在だ。
最初のキャリアは、日立製作所からスタートした。財務として5年間、エクセルとにらめっこしていた頃は、会社のお荷物にならないように日々もがく社員の一人だった。
そんな折、日本の外務省とサウジアラビア青年福祉庁(当時)というサウジアラビア政府組織が実施している外交イベント「日本サウジ青年交流団」に参加する機会があった。そこで生まれて初めてサウジアラビアの標準的な民族衣装を買うことになる。
著者は民族衣装を着て大使館のパーティーなどに呼ばれるうちに「アラブの民族衣装を着ている姿は素晴らしいからもっと多くの人に見てほしい」と現地の有名なインフルエンサーから誘われるようになった。勧められてインスタグラムを始めた。
それからしばらくして、東京で大雪が降った日があった。その日に浅草で、サウジアラビアの民族衣装を着て雪の中を猛スピードで滑って遊ぶ動画を、インスタグラムに上げた。
その動画が有名になり、一時は7万人を超えるフォロワーを獲得。さまざまな媒体から声を掛けてもらうようになり、CMなどにも出演するようになっていった。そうした活動と経験を続けていくうち、中東に詳しい日本人として知られるようになっていった。
著者はあくまでタイミングがよかっただけ、日本人がこの姿をしても許される土壌を作ってくれた先人たちのおかげだと語る。また、著者はもともと歴史が好きだったため、その深い知識で現地の人々とも表面だけでない話をすることができた。どのような国であっても、自国の歴史について詳しい人は信頼したくなるものだ。また、国ごとに微妙に異なる服装や礼儀作法も、すべて苦労して身につけたという。
自身が「オタク」だったことも要因と言えるだろう。日本が誇るアニメやマンガは、中東でも人気が高い。同じ作品について知っていることで、胸襟を開いて語り合うことができた。
中東とは、もともとヨーロッパから見た位置関係を示した地政学用語だ。
もとはイギリスで定義されたもので、オスマン帝国(トルコ周辺)を「近東」、それより東からインド手前までのアラブ諸国を「中東」、それより東を「極東」と表現していた。日本が「極東」と呼ばれているのも、ヨーロッパ基準で地図の東にあるためである。
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