人類が考え方を他社と共有するために語り伝える手段、起承転結のある物語という形態は、リンクでつながれたウェブの登場で一変した。
子どもたちにこの変化を理解させるには、デジタルかアナログかの二者択一から抜け出す必要がある。
まず、ビデオゲームの話をしよう。ゲームは決まった枠内の方法でしか問題が解けないため、思考パターンに悪影響を及ぼすと批判されがちだ。しかし実際のところ、新しい「リテラシー」を身に付けているのと同じである。ゲームをプレーすることで、ゲームを「読む」能力、システムを解読する能力を体得できる。
ロールプレイや物語が混じり合うゲームをプレーする子どもたちは、一定の思考パターン、行動様式、表現の種類、他者との関わり方、経験などを、周囲の人と共有する手段を定着させ、強化する。
子どもにとって、遊びは大切な仕事だ。デジタルな遊びもそうでない遊びも、未来の文化と社会を形づくる、ある種のイノベーション醸成装置である。
子どもたちは遊びを通じ、一緒に作業したり、経験をシェアしたりすることを学ぶ。対立を解決し、空気を読み、能力や自信を高める。また、自分の行動や感情的反応が社会に受け入れられるように管理する能力や、欲しいものや必要なものを手に入れるために最善の戦略を見つける能力も発達する。
遊びが市民としての社会参加の第一歩であるという考え方は、100年以上前の砂場遊びの研究から導かれた。当時の子供たちは砂場で井戸やトンネル、炭鉱や採石場を築き、創造性などを養っていた。加えて、倫理的・道徳的判断力を育み、未来の社会をつくる上できわめて重要な役割を持ち得ると、当時の教育学者たちは主張していた。
それは遊びを否定する宗教的価値観を覆し、新たな社会をつくることに一役買った。実際、子どもたちの砂場が増え始めたのは19世紀末、工業化が全盛となる20世紀の直前だ。
現在のデジタルな遊びはちょうど、当時の砂場と同じような位置付けにある。
ゲームは不健全で背徳的なものなのか。そうではない。「学習」の特徴とされているものを当てはめれば、ゲームはそれらを全て備えている。健全な自己感の形成に不可欠な「自分探し」の機会を与えてくれる、新しい砂場になるということだ。
昔のように子どもが都会の歩道を自由にうろつけなくなった今の時代には、デジタルの世界が友達との交流の場になっている。「マインクラフト」という人気ゲームはまさに壮大な砂場だ。友達とつながり合い、デジタルの世界でごっこ遊びを楽しめる。
一方で、ゲームの世界に没入する子どもたちの姿を見ると、不安やいら立ちを覚える親もいるだろう。しかしゲームを否定したり、子どもたちを放置したりしてはならない。
どうすればいいのか? 簡単だ。大人も一緒にゲームで遊べばいい。
「家族一緒の完璧な夕食」という習慣の重要性が叫ばれるようになったのは、そんなに昔の話ではない。三度の食事を規則的にとる習慣が広まったのは19世紀初頭だ。
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