SNSにコメントをもらったりフォローしてもらったりしたとき、すべてに対応しようとして疲れてしまっていないだろうか? すべてに対応すると、「自分をかまってくれる人」と思われて、あなたのもとにますます「お返しを求める人」が集まってきてしまうことになりかねない。
お返しは、本当に返したいときだけすればいい。SNSのメッセージもフォローも、みんな自分がしたくてしていることだ。メッセージを送った時点で相手は目的を果たしているし、フォローもその人の投稿を見たいからしているだけである。返せるとき、返したいときにだけ返せばいい。
SNSの「既読」機能は便利だ。その反面、既読なのに返信がないと「無視された」「私のことはどうでもいいんだ」と思ってしまうことがあるかもしれない。
相手に対して不安やイライラを募らせるのは、自分を基準にして考えているときだ。いつでも携帯が見られて、まめに返事を返せるからこそ、「自分はできるのに、なぜあの人はできないの?」と考えてしまうのだろう。
この十数年で、私たちの使う道具は驚くほど進化した。しかし道具がどんなに便利になろうと、それを使っている人間は変わっていない。いつでも携帯を見られる人ばかりではないし、文章を書くのが苦手な人もいる。そう考えると、相手から望んだ反応を得られなくても、心に少し余裕が生まれるのではないだろうか。
SNSでは相手の状況を簡単に知ることができる一方、時に知りたくない情報が入ってきてしまうこともある。友達の幸せそうな写真を見て「いいね」を押したくない気持ちになったり、自分と同レベルだと思っていた人の活躍を見て焦ったり、昔の恋人が楽しそうにしていてへこんだり……。
そこで著者はあるとき、充実した日常の写真をアップしている人について「もし、あの人と自分の中身が入れ替わったら」と考えてみた。すると、「楽しそうな輪だけど、自分は溶け込めそうにない」ということに気がついた。自分の幸せと人の幸せの形が完全に一致することはない。「うちはうち、よそはよそ」でいいのである。
SNSで見えるのはたいてい「一番キレイな部分」で、氷山の一角にすぎない。そこに写っていないだけで、そのキラキラとした一枚の写真になるまでには、大変なことや血のにじむ努力があったかもしれない。誰かを羨むのではなく自分の幸せのために頑張ることが、幸せへの最短コースだ。
相手の何気ない言葉に傷つき、「なんであんなことを言うんだろう?」「私が悪いのかな?」と気にしすぎてしまって、気持ちが切り替えられない――そんな経験がある人も多いだろう。著者は人間関係で嫌な思いをしたとき、友人からこう言われた。「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ」
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