辞書的な会話の定義とは、「向かい合って話し合うこと」だ。だとすれば、会話の本それ自体も、ダイアローグでつくられるべきだ。この本には、文章術をテーマにした著者の前著『読みたいことを、書けばいい。』の編集者であり、著者と対話を重ねてきた今野良介氏が対話相手として登場する。
今野氏のすすめで「会話」をテーマに本を書こうとしたとき、本屋の会話術のコーナーをのぞいてみた。すると、多くの会話術の本が、相手の話を「聞くこと」が大切であると解説していることがわかった。つまり、他人の話を聞くことはここまで注意されなければできないということになる。結局、人間は他人の話を聞きたくないのではないか。
だとすれば、著者の発想は逆になる。会話において意識すべきことは「わたしの話を聞いてもらわなければならない」「あなたの話を聞かなければならない」という考えを捨てることだ。これこそが、著者が会話においてずっと意識してきたことだ。文章を書くときの最初にして最後の心構えである「正直であること」は、会話においても重要なのではないかという考えに至った。
ほとんどの人は、会うなり自分の事情を話し始める。しかし、他人の個人的な事情は、すぐには聞きたくない。むしろ、ずっとあとでも聞きたくないことがほとんどだ。会話が上手な人は、「この人、自分の事情はないのだろうか?」と思うような話題で会話をスタートさせている。
会話は「相手を知り、自分を知ってもらうためにするもの」という考え自体が、人を苦しめる原因だ。「相手のことも、自分のことも、話さない」のが重要だ。会話とは、相手にとっても、自身にとっても、「外にあること」を話すためにあるのである。
ある意味、「どうでもいいことを話す」のが、会話する理由だ。たとえば、窓があったら外に目をやってみる。夏空に大きな雲が出ているのを見つけ、二人で同じものを見ながら「今日の雲は大きいですね」と確認し合えば、これ以上の「共感」はない。
しかし、ただ見たことを描写しているだけでは話は続かない。せっかく初対面の人にいきなり自分の事情を押し付けるのを踏みとどまって空を見上げたのに、会話が続かないからといって身の上話を始めてしまっては意味がない。
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