GPIFのように、独立行政法人という形をとりながらも公的に運営され、全国民に加入義務を追わせ、破綻の際には公的資金で救済することが暗黙の前提となっている機関は世界でも稀である。国民に委託されて運用を行っているGPIFのポートフォリオは、債券への配分比率が60%と非常に高い。
GPIFは政府系ファンドであり、顧客は国民(形式的には資金を委託している厚生労働大臣)である。一方で厚生労働省は監督官庁でもあり、顧客と上司が同一の環境ではガバナンスが効かないのが一般的である。また、GPIFに関する法律では「運用は、安全かつ効率的に行われなければならない」と規定されている。こうした環境下では「ベストパフォーマンスを達成しているか」といった具体的評価軸が存在しない。
GPIFの権力構造は非常に曖昧である。理事長は存在するが、運用委員会、投資委員会がそれぞれ大局的・局所的に投資の判断を下している。GPIFの心臓部である運用部門は、良い民間のファンドを選定することが仕事であり、ファンドオブファンズと同じ構造になっている。
独立行政法人化のプロセスの中で、コスト削減を図る流れがGPIFにも及んでいたが、GPIFのような成果が運用益という形で目に見える組織であれば経費削減一辺倒ではなくても、戦略的に社内投資を行うという道があっても良いのではないかと、著者は説く。
例えば、立地が悪くかつ簡素すぎるオフィスの影響もあり、世界最大の機関投資家であるにも関わらず、優秀な人材を採用できていないことは問題だ。
GPIFの投資の方針は、厚生労働大臣からの指示である中期目標に規定される。この方針をもとに、有識者が審議会の中で議論し、財政検証のプロセスを経て具体的数値が決定されるのである。この運用利回りの目標数値には問題がある。
第一に、年金の健全性を国民にアピールするために、政府が意図的に楽観的な数値を盛り込んでいる可能性があり、信頼性に欠けている。第二に、経済前提の分析や議論で、実体経済と資本市場を強引に結びつけているものの、実際には無関係のものを連関させている結果であり、運用目標にはひずみが発生することとなる。
では実体経済を参考に目標数値を決めればよいのか。しかし実体経済と資産市場は、実際には独立して動いているものだ。
第一に、現状の経済理論と現実の金融市場の動きはやはり別の論理で成り立っている。第二に、構造変化が起きている中で過去のデータは参考にできない。
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