現実社会において、何かを生産する「費用」と生産物の「価値」は偶然同じになる場合もあるが、たいていは「利潤」という差異が現れる。そして経済学においてこの利潤をどう捉えるかは、完全競争と現実の競争との違いにも関わってくる問題だ。その本質は、本書のタイトルにもなっている「リスクと不確実性」の関係から見出せる。
リスクと不確実性とは特に区別されることなく、日常的にも経済的議論でも広く用いられ、同時に曖昧さを包含している。しかしリスクには、測定可能な量を意味する場合と、そうではないものの2つがある。そこで、測定可能な不確実性を「リスク」と定義し、「不確実性」という用語は測定不可能で非数量的なもののみに限定する。この「不確実性」こそが、現実世界の競争と理論上の競争との違いを適切に説明し、利潤の理論の基礎となるのだ。
理論経済学は、単純化された条件のもとで何が起こりうるかという点を議論するものである。だがそれは、理論物理学ほどの有効性は持ち合わせていない。その原因は、理論経済学が自身の本質と限界を厳密かつ明瞭に示しえていないからだ。もちろん、仮定の上で成り立つ完全競争に加えて、競争が完全ではないような状況についても同時に言及されてきた。しかし、完全競争が現実の競争とどれくらい乖離しているのか、「結論を現実に当てはめるにはどのような修正が必要か」という点については、体系的な視点は確立せぬままである。
本書が書かれる以前、利潤についての議論の中心にあったのはJ・B・クラーク教授の「利潤の動態理論」、F・B・ホーレー氏の「リスク理論」であった。ただしクラーク氏は利潤とリスクとの関係について何も探究していないし、ホーレー氏はリスクを既知の数量として扱って、特別に定義が必要なものと考えていない。企業家精神の本質に責任とリスクを想定したホーレー氏であっても、計算や統計的方法によって確定できるリスクと、測定できない不確実性との間の根本的な違いを明示することに失敗している。
ゆえに、それらの理論のうちにある正しい原理を調停しつつ、不確実性の意味の違いとその競争的経済関係における重要性を探究することが、本書の第一の主題となる。
人が生きているのは常に変化を伴う世界であり、いうなれば「不確実性の世界」である。ビジネスについてもそうだが、まったくの無知や完全情報ではなく、部分的な根拠や価値に基づいて私たちは行動している。だからこそ、不確実性の意義、ひいては認識とは何かについて問う必要があるのだ。
心の本質は未来思考である。意識ある生命は、ある状況が起こる前にそれに反応できるからだ。そうして人は世界を知覚し、そこから推測した「イメージ」に対して反応する。無論、その推測は誤ることもある。自身の行動が引き起こす結果さえ正確に知ることはできないし、そもそもイメージ通りに行動できるわけでもない。
あらゆる推論は類推によって成り立っている。したがって、過去によって将来を判断する。「同じ種類の出来事は同じように作用する」という類似性を見出して分類する。ただし、将来の状況は無数の要因に影響されるので、すべての対象を検討することは決して現実的ではない。だからこそ、科学者が研究する論理的思考ではなく、私たちは日常的に推論に基づいた決定、確率判断を行っているのだ。
推測が偶然に左右されやすく確率が不明瞭な場合、「どのような行動が最適か」を決めるのは容易ではない。
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