著者は、現代の知的生産に必須の大前提として、集中力がないのが現代人であるという点を挙げる。そのうえで、無理に集中しようとするのではなく、「散漫力」を逆活用して生産性を高めようと呼びかける。
スマホという武器を手にしてから、私たちは大事な人と一緒にいるときでさえも、ついスマホを見てしまうようになった。とはいえスマホは私たちの「第二の脳」になっており、いまさら手放すこともできない。
まずは集中力をつけるのをあきらめ、散漫力があると見方を変えればよい。5分の集中しか保てなくても、その5分の集中を36個積み重ねれば3時間になる。そうすればいくらでもインプットができ、それを知力に変えられる。
真の情報力を得るには、「読むべきもの」を選別する必要がある。そのための第一段階として「落とし穴」を見極めて、「雑味」を排除しなければならない。かつて新聞が情報をコントロールしていた時代とは異なり、現在のネット時代は「不平等」だ。信頼できるメディアもあれば、怪しげなメディアもある。偏りが強いメディアには注意を払うようにしたい。
例えば、出来事の構図を単純にしすぎて、断言しているメディアである。社会の出来事はたいてい複雑なものであり、原因の特定も一筋縄ではいかないものだ。
次に、「要注意ワードが含まれているメディア」にも注意が必要だ。「真実」「正体」「化けの皮」「しがみつく」などの強い言葉を使う記事が特徴である。日常会話で使わないような用語を使っていること自体が良識から外れているといってもよい。
そして、「匿名の証言やソースが不明なメディア」にも注意したい。きちんとした専門家であれば、自分の肩書と実名を出すはずだ。なかには、記者の頭の中ででっち上げた「関係者」「専門家」という場合もある。
ネットの情報は偏りが大きい。さらに深刻なのは、ネットの怪しげな情報がSNSの人間関係を経由することだ。最初期のSNSは人間関係のインフラだった。しかし、現在ではいつのまにか「人間関係のインフラ」の上に「情報のインフラ」が重なり、人間関係を通じて情報が流れている。すると「どういう人間関係をつくっているか」で流れてくる情報が決まってしまう。21世紀では、情報でさえも「分断」されているのだ。
ではこの状況にどう対処すればよいのか。
3,400冊以上の要約が楽しめる