本書のタイトルでもある「ヒトの子どもが寝小便するわけ」は、早速第一章に登場する。
著者が長年、野生動物の調査を続けている宮ケ瀬の尾根を歩いているとき、学生が質問した。「サルの糞は橋のところで何カ所にもありましたが、タヌキはどうして一カ所にまとめてするんですか?」。著者は「サルは巣をもたないで、採食しながら移動して歩くからだよ! それは、シカもそうだよ」と答えた。
タヌキの糞がある場所はほぼ決まっているのに対して、サルやシカの糞はいつも決まった場所にあるわけではない。これは、タヌキは巣をもって家族生活をするが、サルやシカは巣をもたずに採食しながら移動するという生活様式の違いに起因している。
タヌキは、巣穴の中やその近くで糞をすると、自分たちの排泄物で衛生状態が悪化し、病気にもなりかねない。だから彼らは巣から離れた場所で用を足す。糞をする場所は決まっていて、家族以外のタヌキも利用することから、どうやら匂いによる仲間同士のコミュニケーションとしても、このいわゆる共用トイレが利用されていると著者は解説する。というわけで、巣をもつタヌキなどの動物は、特定の場所まで糞を我慢することができるのだ。
一方のサルやシカは、自分たちの行動域をもつが、巣をもたずに採食しながら移動して生活する。食べたいところで食べ、適当な気持ちの良い場所で休息し、寝る。その場にとどまるわけではないのでその場で排泄する。彼らにとってはどこでもトイレであるため、排泄は我慢するものではないし、我慢できない。
サルやシカと同様に、ウマ、ウシ、ゾウも採食しながら移動して暮らすので、歩きながらでも、食べながらでも糞をする。
ヒトの子どもがお漏らしや寝小便をするのは、ヒトの祖先がサルやチンパンジーと同じように、採食しながら移動する生活をし、決まった巣をもたなかったことが理由ではないか、と著者は語る。ヒトが家をもつようになったのは、クロマニョン人のホモ・サピエンスが生まれてからのことなのだ。
事実、現在でも東南アジアやアフリカの熱帯地域では、赤ん坊にオムツをせず、好きなように排泄させている地域がある。日本でも、少し前までは道端で男性が小便をする姿を見かけることがあった。
もともとヒトは、サルと同じようにトイレなどなくても生活していけたのだ。ヒトが決まった巣をもって生活するようになってから、まだ十数万年であり、ヒトの子どもが寝小便やお漏らしをするのは、ヒトの祖先の生活様式の名残なのだ、と著者は述べる。
ある事例が発表されるまで、同種の仲間を死なせてしまうほどに攻撃する動物は、ヒトだけだという見方が有力だった。たとえば、イヌがけんかをすると、弱い方は劣位の姿勢や服従の行動を見せ、そうすると強い方はもうそれ以上攻撃をしなくなる。ただヒトだけが、謝り、服従の姿勢を見せても、攻撃をやめず、殺してしまうと考えられていた。
しかし、1962年、ハヌマンラングールというサルの群れで、子どもが皆殺しにされるというショッキングな事例が見られた。
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