明治27年の夏、箱根で行われた本講演のテーマは、「後世への最大遺物」であった。後の世に何かを遺したいと思う気持ちは多くの人に共通するものであって、内村鑑三も学生の頃には歴史に名を遺す人間になりたいと考えていた。しかし、キリストの教えを学び、その考えがなくなってきたと言う。そうした欲望は、見方によっては単なる自己顕示欲にも感じられるからである。
ただ、ここで内村はもう一度自分に問いかけた。安らかに天国へ往けばそれで十分なのかと。そこで、自分に命をくれたこの地球、この国、この社会に何も遺さずに死にたくはないと思い、「清い欲」がわいてきたのだと言う。つまり、「私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたい」と考えるに至ったのだ。
では、何を遺すべきなのだろうか。
遺すものとして内村は3つの例を語る。お金と事業と思想である。このどれも後世への素晴らしい遺産であると言う。
まずお金であるが、これを遺すことはともすれば卑しいと考えられがちである。しかし、それは違う。現実に起きている様々な問題は、それが社会問題であれ教育問題であれ、突き詰めて考えると金銭の問題が深く関係している。自らの子どものみならず、社会のためにお金を遺すという考えこそが重要であり必要なのだ。ここで、著者はアメリカの実業家たちの例を紹介する。生涯かかってためたお金を世界一の孤児院設立に捧げたジラード、黒人の子供たちの教育に私財を費やしたピーボディーといった人物である。
ジラードはフランスからアメリカに移住した商人で、妻に早くに先立たれ子供もなかった彼は、「ドウカ世界第一の孤児院を建ててやりたい」という目的だけで金を溜め、その資産の大半をニューオリンズとフィラデルフィアの2か所に孤児院を建てるために寄付した。
ピーボディーは貿易と銀行業で成功した実業家であった(要約者注:彼が設立したピーボディー銀行は現在のJPモルガンやモルガン・スタンレーのルーツとなった銀行である)。彼は貿易を行っていたイギリスのロンドンで貧困者への援助を行い、アメリカでは南部の子供たちの教育に尽力した。アメリカが大きく発展したのは、こうした「清き目的」を持った金持ちたちがいたことが大きいと内村は考えている。そして日本にもこうした実業家が出てきてほしいと願う。「百万両を国のために、社会のために遺して逝こうという希望は実に清い希望」なのである。
お金は確かに「後世への最大遺物」の1つであるけれども、誰でもがお金をためて遺せるわけではない。内村自身も「私はとうてい金持ちになる望みはない」と言う。では、他に遺すべきものがないか。金よりもよい遺物は何だろうか。
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