日常は経営であふれている。仕事、恋愛、勉強、芸術、科学、歴史など、あらゆる人間活動で起きる不条理劇は、「経営という概念の誤解」から生じている。
ここで指す「経営」は、いわゆる企業経営やお金儲けのことではない。本来、経営とは「価値創造(自分と他者を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」なのである。
この概念において、すべての人間は「人生を経営する当事者」だといえる。私たちの誰もが幸せを求め、他者と関わりながら生きているからだ。
この「本来の経営概念」を持てば、不条理や不合理から抜け出し、個人も社会もより豊かになれるはずだ。
夫婦間にはさまざまな揉め事の種がある。たとえば、夫が飲み残したコップをところかまわず置くことが、妻には理解できない。しかし夫としては、今まさに片付けようとしていたのに、妻がなぜそこまでヒステリックに怒るのかわからない。また、「ボディソープきれてるよ」という夫の一言に「気づいたなら自分で補充してよ!」と妻がキレるのも、よくあることだ。
こうした“夫の失態”は、妻に「母の役割」を求めることから引き起こされる。男は独立するまで母子関係にどっぷり依存しており、「子」というだけで母にあれこれと世話を焼いてもらえる。
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