本書でいう「余白」とは、「何かを書いたあとに残ってしまったスペース」ではない。「書かれている何かを引き立たせるために、あえて余らせているスペース」「あらゆるものが入る可能性にあふれた空間」「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」などといったポジティブな意味で使っている。余白の「余」は余分の「余」ではなく余裕の「余」であり、その先に無限の時間や空間が続いていくイメージだ。
たとえるなら、余白は「縁側」「土間」のような、内と外の概念が曖昧になる中間領域に近い。誰かの部屋でもないし、決まった使用目的もない、何をしてもよい場所だ。余白はまさにそのような存在である。
人にはそれぞれ、他者が自分に近づいて不快にならない物理的な距離として「パーソナルスペース」がある。パーソナルスペースが侵され、身体(物理)的にまったく余白がない満員電車は、非常に不快なものだ。
誰もが満員電車を嫌うように、誰だって余白の大切さは分かっているだろう。それなのについ、物事をいっぱいまで詰め込んでしまうのだ。
余白はいわば、子ども時代の「日曜日」のようなものだ。子どもの頃のあなたにとって日曜日とは、何をしてもいい、可能性にあふれた1日だったのではないだろうか。このように、「さあ、今日は何をして過ごそうか」というワクワク感を受け止めてくれるのが余白の存在だ。
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