「これは大事なことなんだよ。僕自身、初出場の機会を逃しているから、今回は逃すわけにはいかないと思うんだ」。WBC(ワールドベースボールクラシック)の出場についてこう語ったのはマイク・トラウト。エンゼルスを代表する、偉大な野球選手である。
父親のジェフ・トラウトはアメリカ東海岸、デラウェア州立大学で二塁手をしていた。決して恵まれた体格とは言えないが、1983年ドラフト5巡目でミネソタ・ツインズに指名される。しかしメジャー昇格の壁は厚く、夢を諦め教師となる。
彼のチームメイトにはグレッグ・モーハートがいた。モーハートもまた、メジャーに昇格することはなかったが、ジェフとは違い、球界に残ってスカウトとして働き続けた。そして2008年、エンゼルスのスカウトとして活動していたころ、ニュージャージー州にいたある若手外野手の噂を耳にした。
「トラウト」という珍しい名前に、モーハートはかつてのチームメイトの親戚か何かだろうかと考えた。親戚どころか、ジェフの息子、マイク・トラウトだったのである。
モーハートはマイク・トラウトの素質に驚いた。俊敏さと強靭さを兼ね備えた圧倒的な才能。それはかつてマイナー時代に対決した、メジャーを代表するスターたちを彷彿とさせるものだった。
その才能に惚れ込んだモーハートは、すぐさまエンゼルスにもトラウトのことを話した。エンゼルスはこの輝かしい未来が約束された若者に、他のチームが注目していないことを喜んだ。エンゼルスは見事、マイク・トラウトの指名に成功。一方、この男を見逃した21球団は、すぐに後悔することとなる。
トラウトは20歳になる直前にメジャー昇格を果たし、苦戦した最初のシーズンを除いて、破竹の勢いで旋風を巻き起こした。凄まじい打棒で本塁打を重ねるばかりでなく、持ち前の快足を生かして盗塁も増やしていく。メジャーリーグ史上、新人選手が30の本塁打と40盗塁を同時に達成したのは初めてだった。
その後もトラウトは活躍を続け、その名が球史に残るのは確実と思われた。しかし、彼の人生にはあるものが欠けていた。エンゼルスは地区優勝すら果たせずにシーズンを終えることが常態化していたのだ。トラウトは偉大な実績を残しながら、野球界の外では無名のままだったのである。
それでもトラウトはエンゼルスの未来が明るいと信じていた。このチームで優勝したい。そんな願いをずっと持っていたのだ。そんなトラウトがエンゼルスでともにプレーしたいと考えていた人物がいた。
それが大谷翔平である。
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