「ひまわり」「星月夜」などで知られる、オランダ出身の画家、ゴッホ。彼はとりつかれたように仕事をするタイプだった。創造的なインスピレーションに突き動かされて休むことなく絵を描き、ときには食事も忘れてしまうほどだったという。
生涯にわたってゴッホを支えた兄テオへの手紙の中で、ゴッホは、午前七時から午後六時まで仕事をして、その間、動いたのは一歩か二歩の距離に置いてある食べ物を取るためだけだったと記している。また、手紙にはこうも書いてあったという。「毎日は、仕事、仕事で過ぎていく。夜にはへとへとになってカフェへ行き、そのあとはさっさと寝る! 人生はそんなものだ」
バルザックは自分を追い込むように、過酷なスケジュールで仕事をした。
午後六時に軽い夕食をとって眠り、午前一時に起きて机につく。そこから七時間ひたすら書きまくる。午前八時になると、一時間半の仮眠をとり、さらに九時半から午後四時まで仕事。午後四時からは、散歩、風呂、客対応。そして午後六時からはもう一度同じことの繰り返しだ。
仕事の間、バルザックはブラックコーヒーを飲みまくる。一日に五十杯のコーヒーを飲んだともいわれているそうだ。
サルトルは、仕事は、「午前中に三時間、夕方に三時間、それが私の唯一の決まりだ」というふうに言っていたが、怠けていたわけではない。仕事のほかには活発な社交をこなし、豪華な食事と大量の酒、タバコとドラッグを摂取した。
標準的な一日の過ごし方は、アパートで正午まで働き、会合に一時間ほど出かけた後、パートナーのシモーヌ・ド・ボーヴォワールと、共通の知人とともにランチ。ランチで赤ワイン一本を飲みほしたという。午後はボーヴォワールと仕事をする。寝つきが悪かったサルトルは、睡眠薬を飲んで二、三時間眠った。
過労と睡眠不足、ワインとタバコの過剰摂取でぼろぼろのサルトルは、そのうえ、仕事のペースを維持するために当時まだ合法だったコリドランというドラッグに頼った。朝と正午に一、二錠ずつという規定の服用量を大幅に超えて、サルトルは一日二十錠も飲んだ。一錠ごとに、『弁証法的理性批判』を一ページか二ページ書けたのだという。それほどまでに、自らの哲学体系をかたちにしたかったのだ。
めちゃくちゃなやり方で仕事の成果を追い求める者もいれば、その逆もまたいる。カントの人生、特に40歳を過ぎてからの人生は、規則正しさそのものだった。カントは骨格に先天的な欠陥があって虚弱だったため、長生きできるように、また健康のことを気に病みすぎないように、生活にある種の画一性を必要としたのだ。
朝は午前五時に起き、執筆をして、大学で午前十一時まで講義をする。昼食を食べた後は、散歩に出かける。ハインリヒ・ハイネによると、「近所の人々は、カントが灰色のコートを着てスペイン製ステッキをもって玄関から出てくると、ちょうど三時半だとわかった」というくらい、すべての行動の時間はきっちりと決まっていた。
生まれ故郷の町からめったに外へ出ず、生涯独身を貫き、地元の大学で同じ教科を四十年以上教えたという。
長編小説を書いているときの村上は、日課を規則正しくこなす。そのことが創作の役に立っているのだという。
3,400冊以上の要約が楽しめる