大卒後、外資系コンサルタント会社に入社。同期は3人、平均在職期間は約2年という、特殊な職場環境であった。経験が少ない若手としてはとにかく動くしかないと考え、がむしゃらに仕事をした。こうして、思いっきり仕事をすることは、ビジネスパーソンの足腰をつくる。能力の限界までストレッチをしてみることが、その後の成長につながるのではないか、と著者は語る。
とはいえ、ストレスを感じることもあった。しかし、仕事には自分の能力でできるものと、できないもの、二通りしかないとわかってから楽になった。できない仕事は早く判断して、人の力を借りること。早めに相談するのが、仕事スタイルの特徴だったという。
幼少期を過ごした英国では、サッカーやチェスに夢中になり、とくにチェスは全国大会に出場するほどののめりこみようだったという。
その頃から続けていたピアノは、後年、ジャズにめぐり合うことで練習に火がついた。
帰国子女であるからこそ、より自国の伝統芸能にある美しさに惹かれ、大学のころからは文楽鑑賞に劇場に通うようになった。
こうした趣味は、幅広い世界で活躍する人との交流を可能にしているようだ。友人の紹介で知り合った、オペラ演出家の伊香修吾氏と話がはずむきっかけになったのは、伝統芸能についての話題だったという。文楽とジャズを通じて、作家の平野啓一郎氏とも親しくなった。文楽界のサラブレッド、豊竹咲甫大夫氏とも親交を深めている。
世界の政治指導者や企業経営者、知識人が集まる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会である、「ダボス会議」。参加者が大企業のトップばかりでは若手の意見や視点が反映されないことを懸念し、WEFは若手経営者などを対象とした「ヤング・グローバル・リーダーズ」(YGL)というグループを組織している。著者はそのメンバーに選出され、2011年からダボス会議に参加しているという。
初めてダボス会議に参加した2011年、保険業界トップ向けのランチョンセッションがあった。参加者は欧米を代表する大手保険会社の会長や社長のみ。その中に、出来たばかりの日本のネット生保会社の若い副社長が座ることとなった。
しかし、ダボス会議では、企業の大きさに関係なくその人の考え方や人となりが判断材料となる。著者はひるまず、30分も経つと積極的に発言するに至った。保険業界が銀行業界と比べて格下の扱いを受けていることが議論のテーマとなっていたのだが、保険業界がまだまだ新しいビジネスイノベーションの可能性を秘めた、エキサイティングな業界であることを熱弁した。前向きな意見に拍手が起こり、各国の経営者と個別の交流を持つことができたという。
2013年の参加では、初めて講演者として登壇し、ビル・ゲイツ氏と少人数のグループで食事をする機会にも恵まれた。ダボス会議を通して一流経済人と知的にふれあうことができ、まさにプライスレスな経験ができたという。
著者は、あるとき、先輩の経営するコンサルティング会社の若手社員に訪問を受ける。
彼らは著書にすでに書いてあることを質問し、その様子には何かを得ようという意欲や気迫が感じられず、残念に思ったという。
人と会う時間を互いのために有効に使うにはどうしたらよいか。
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