リーマンショック、東日本大震災、戦争、疫病と、人類の歴史は危機の連続である。だが、その中から人々は立ち上がり、成長して文明を今へとつないできた。
「昭和の時代はよかった」というが、鈴木喬氏はそれは嘘だと語る。現代は餓死する人がいないし、失敗したところで命はとられない。鈴木氏が生きた昭和初期は常に空腹に悩まされていた。戦後も傷を負った軍人や戦災孤児が巷に溢れ、毎日が生死の境だった。
鈴木氏の父が営んでいた雑貨屋も戦争によって焦土と化した。戦争が終わると疎開先から戻り、父が始めた露天商を手伝うこととなる。露天商といっても、道端に板切れを敷いただけのものだ。その店で、石鹸、蝋燭、整髪剤を販売していた。寝るときは杉の皮を重ねただけの、とんとん葺きに一枚の布団にくるまるだけだった。どこの家もこんな状況で、特別辛いと思ったことはない。
あるとき、戦時中に守っていた母の嫁入り道具が虫に食われたのをきっかけに、薬学部の次兄と工学部に進んだ3番目の兄が中心となって防虫剤の製造を行うエステー化学工業を興した。1946年のことである。
鈴木氏は小学校も中学校もロクに通った記憶がない。疎開者というだけで先生や同級生からいじめられたし、戦後の混乱期は学校どころではなかった。
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