日本はいま有事である。それは必ずしも軍事的な脅威だけを意味しない。国立社会保障・人口問題研究所の発表によると、このままの出生率が続けば西暦3000年には人口がたったの1000人になるそうだ。それはあくまでも机上の計算の話ではあるが、出生率が国家の存亡にかかわるという言葉の意味を実感するのには有効なシミュレーションといえるだろう。
国家の存立要件とは何か。
それは国土、国民、排他的統治機構だ。そのうちの国民が消えていく。これを有事ととらえない理由があるだろうか。
安全保障の分野で、軍事的な脅威に対しては国民が高い熱量を持ち、活発な議論が交わされている。しかし人口問題になると、そのような「熱さ」は感じられない。静かに、確実に進行している危機に対しては、まだ他人事のようなところがあるといえる。
だがそれでいいわけはない。敵国が攻めてくる、領土を奪われるといったようなことは「起こりうるリスク」であり、そのために外交努力や国内における法整備や自衛隊の強化が図られる。一方で、人口問題はすでに「起こっている」ことだ。にもかかわらず、政治家も国民もまだ危機意識が薄い。だから有事なのである。
「地方創生」。その言葉はいわゆるバラマキを意味しない。「自民党が地方のご機嫌を取って選挙対策でやっているのだ」という論調で取り上げられることがあるが、地方創生は選挙対策といったレベルで進められてきたわけではない。
地方創生とは何か。これは、明治以来連綿と続いてきた中央と地方の関係を根底から変えるものであるべきで、日本の在り方を変え、この国が何とか21世紀も続いていけるようにするためのものだというのが著者の考えだ。
さまざまな選挙があるが、たとえ国政選挙であっても地域の振興を訴えない者はいない。これまでの内閣においても地方の再生をはかる構想があったのは事実である。だから、それと「地方創生」とどこが違うのか、という懸念や批判の声が挙がるのは理解できる。
こうした疑問への回答として、まず挙げられるのは「危機感」である。かつて日本で注目を集めた地方にまつわる構想はたしかにどれも優れている。しかし、「これをやらねば、国家の持続性が失われる」という危機感はそこになかった。一方「このままでは日本が維持できない」という危機感が地方創生の取り組みの根本にある。
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