リスクとは「損失を被る、又は不利な状況に陥る可能性」を意味する。出来るだけ不利な状況に陥りたくはないが、転職や投資など、時にリスクを取る決断が必要なときもあるだろう。不利な状況を回避するには、リスクに関する三つのルールを理解しておくことが重要だ。一つ目は、人間は本来リスク回避本能を有していること、二つ目は人間にリスクを取らせようとすればそれなりのリターンが必要だということ、三つ目はリスクとリターンのバランスは需要と供給により変化することだ。
投資とギャンブルは似ていると思われがちだが、両者は別物だ。ギャンブルは投資に見合ったリターンが用意されておらず、むしろコストを支払うようになっているからだ。但し、バブル期のように、投資も「投機」になってしまうケースもあり、その際は判断が必要だ。
また、リターンの大きさは、先に述べたルールの三つ目のように、需要と供給により変化する。リスクを取る人が少なければ少ないときほど、リスクを取る人は有利になるのだ。
2008年9月、金融史上に残る大惨事ともいえる「リーマン・ショック」が起こる。しかしそれ以上にインパクトが大きかったのは、リーマン・ショックと前後して起こった世界最大の保険会社AIGの破綻懸念だ。AIGは損害保険や自動車保険のみでなく、金融に対する保険も取り扱っており、世界最大の保険会社だった。AIGが破綻すれば、取引を行っている世界の金融機関は総倒れの様相をも呈し、更なる悪循環に陥っただろう。
自分の代わりにリスクを負ってくれている保険会社が危なくなれば、そのリスクを自分が負わなければならなくなる。すると人々は貯蓄に走り、進んでリスクを取る人はいなくなり、経済は一気に冷え込む。
このときに必要とされていたのは「リスクの担い手」なのだ。資本主義の自己責任の原則からすれば、そもそもの発端である住宅バブルを起こした張本人の金融機関が、いざ危機に陥って政府に救済の手を求めるのはおかしい。しかし、アメリカ政府は、金融破綻が住宅バブルの関係ない市民にまで及び、世界経済に大きな影響を与えることを勘案して、大手金融機関に公的資金を注入することを決めた。同時に、金融危機が終了するまで、自己責任のルールは適用しないということにした。
そもそもこのような金融危機が生じたのは、住宅市場の状況が先に挙げた三つ目のルール「リスクとリターンのバランスは需要と供給で決まる」から逸脱したためだ。住宅バブルに興じて人々がリターンばかりを追求し、いざバブルが崩壊した時にはリスクを取る人が誰もいなかったのだ。
これほど大きな出来事でなくとも、経営や消費など、身の回りには様々な経済活動があり、そこには常にリスクとリターンが存在する。リスクの担い手がいないと経済活動が成り立たない、ということは常に意識していきたい。
アメリカと日本では中央銀行の目的に大きな違いがあり、この違いが、長期に円高・ドル安をもたらすことになった要因といえる、と著者は分析する。アメリカでは、中央銀行の目的として「雇用最大化」、「物価安定」、「適切な長期金利」の3つが定められている。
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