日本人は、世界一、お金のことを知らない。それが2年間で40カ国の世界を巡る旅で知った、最も衝撃的な現実だった。
金融大国イギリスでは、イングランド中央銀行の博物館に社会見学に来ていた小学生たちが「インフレーションとは何か」を体験するアトラクションを楽しんでいた。日本人の多くが的確な説明に戸惑うだろう概念が、小学生の子供たちに向けたアトラクションとなっていることに、著者は驚きを隠せなかった。
日本人、特に30代以下の世代は、知識と経験の両面で、お金に関する教育をほとんど受けたことがない。日本人は、勤勉に働き、お金を強く求める一方で、無意識に「お金=汚いモノ」という感覚をもっている。また、物価の急激な変動や、お金がなくて餓死するような危機も経験せず、お金に困らない生活を享受してきた。
さらに、例えばインドでは、店の商品に値段は書かれておらず、値段交渉は日常茶飯事である。一方、日本の商店には値札があり、「定価」というルールがある。それに慣れてしまったことで、日本人はモノの価値を自ら見極め、交渉する力を失ってきたといえるのではないか。
こうした状況が、お金に対して無知な大人を生み、さらには長期的な経済的豊かさに影響を及ぼしていると著者は考えている。
著者は証券マンとしてリテール営業(個人富裕層への営業)を行う中で、「お金持ち=幸せ」という方程式は成り立たないと気づいた。お金に振り回される人生を送る人の多さを目の当たりにしたからだ。十分な資産があるにもかかわらず、遺産相続でもめて家族との縁をうしなってしまった人、先代から受け継いだ資産を守ることに人生の大半を費やしてしまった人など、さまざまな人がいた。
やがて到来したリーマン・ショックによって引き起こされた株価の下落が、日本企業の倒産や失業率の上昇につながっていくのを見て、現在の世界のお金の仕組みへの憤りを感じた。そして、お金との正しい付き合い方を知らないからこそ、お金に振り回されているのではないかという疑問を持ち始めたという。
お金が誕生する前は、人々は物々交換を行っていた。やがて大変貴重な鉱物であった「金」が交換の媒介物(=お金)として利用され始めた。お金という道具によって、人々は富を蓄積し、より広範囲で長い時間をかけて交換を行えるようになった。
交換の媒介物として、「だれもが価値を認めていて、軽くて丈夫で、分けやすく腐りにくいものの方が都合がよい」ということになり、金貨や銀貨などの「貨幣」が生まれ、金と銀の不足から、価値の低い鉱物を混ぜて増やす「改鋳」が始まっていった。交易が盛んなイスラム帝国では、重たい貨幣を持ち運ぶ面倒さから、紙幣の原型である「小切手」が誕生する。
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