京セラの本社や全国の主要な事業所には必ず和室がある。これらの和室は「コンパ」のために設けられたものだ。コンパとは飲み会のことを指すが、稲盛流コンパはその位置づけが異なる。多少羽目を外すことはあっても、上司や会社の陰口をたたく憂さ晴らしの場ではない。経営者と従業員、上司と部下、同僚同士が互いに胸襟を開き、仕事の悩みや働き方、生き方を本音で語り合う。酒を通して一人ひとりが人間的に成長し、組織を強固な一枚岩にすることができる。
稲盛氏自身、忘年会シーズンの12月ともなればほぼ毎日コンパに出かけ、体調を崩したら注射を打ってでも参加するという。また月に一度は「役員コンパ」があり、グループ会社の役員50人が集まって、夏場も冬場も鍋をつつきあって親睦を深めている。
コンパの伝統は社内に浸透しており、所属部署の目標達成を祝い、さらなる躍進を誓う「決起コンパ」などさまざまな切り口で集まっては酒を酌み交わす。社内の和室は先々まで予約でいっぱいだという。
経営破綻したJALの再生を手がけた際にもコンパが活用された。経営幹部を対象にしたリーダー教育を実施し、研修が終わるとそのままコンパに突入。京セラと同様の「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という経営理念を掲げ、そのために自身が全力で取り組むから、ついてきてほしいと懇々と説き続けた。現場にも出向いて従業員とコンパを開き、JAL再生に向けた熱い思いを伝えた。当時、JALでは幹部と従業員、本社と現場、部署間の一体感がなく、ばらばらに働く硬直的な組織で、さすがの稲盛氏にも手に負えないと思われていたが、コンパによる意識改革によって、JALは改革への意識を一致させることができ、業績はV字回復を果たした。
稲盛氏がコンパの重要性を自覚したのは、1959年の創業から間もないときのことだ。慰労会や社員旅行の際、ビールを飲みながら話をすると、従業員は非常にくだけて心を開いてくれて、稲盛氏の話がすっと通じることがあった。こうした体験が積み重なり、いまのコンパの形ができていったのだ。
当時から稲盛氏は「まずは(京都の)中京区で一番になる。次に京都で一番、日本で一番、そして世界一のセラミックメーカーになるぞ」と宣言していた。これを聞いた新入社員も高揚し、本気で世界一を目指すのだという空気になった。
昼間の会議でも「世界一を目指す」という話をすることはあったが、やはり昼間だと一方的な訓話のようになってしまい、会話のキャッチボールにならない。酒が入ると本音が出て、人間対人間の会話になるため、納得感が全然違うのだ。
「信頼関係を築くのに、なぜ酒が入ったコンパをわざわざ開く必要があるのか」「昼間の会議や個別の面談とは何が異なるのか」という疑問を持つ人がいるかもしれないが、日中職場で話すことと、酒を飲みながらコンパで話すことは、たとえ同じ話題だったとしても次元が別なのだ。
稲盛氏は言う。「上も下もなく、社長が従業員と同じレベルまで下がって、ビールをつぎながら餃子でもつまむ。そうすると気持ちが一つになってくる。(中略)そういう場でみんなが心開いて話をすることで、従業員が経営者に近い気持ちになって、協力してくれるようになるのです。」
稲盛経営は、フィロソフィとアメーバ経営の2本柱で構成されている。フィロソフィとは「人間として何が正しいのか」、「人間は何のために生きるのか」という問いに向き合い、困難を乗り越える中で生み出された仕事や人生の指針のことだ。フィロソフィを社員に浸透させる上でコンパが有効であることは言うまでもない。
一方、アメーバ経営とは組織を小さな単位(アメーバ)に分け、それぞれの単位で日々採算管理をする経営手法のことを指す。一見すると、計数管理が主のアメーバ経営とコンパは関係性が薄いように思えるが、それは誤解だ。
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