1960年代の中ソ対立の激化に伴い、ソ連からの攻撃を受けることを恐れ、中国では重要産業を分散立地させた。そのため、自動車工業をはじめ、工業の地方分散が進んでいる。主に工業を担う企業を国境と海岸線に近いところから、内陸山間部に移転させることを政策の中心に据えた。
当時の自動車生産の中心は、軍事品であるトラックであり、全国の大都市で行われた。小型の組み立てメーカーが設立され、各メーカーは基幹部品を外注して組み立てる方式をとった。
85年、中国政府はフォルクスワーゲン(VW)に懇願し、国有企業である上海汽車との合弁会社である上海VWを設立、Santanaの生産を開始した。Santanaは、高関税率で輸入品との競争から守られるなどの優遇措置を受け、順調に販売が進んだ。80年代後半からの高度成長期で、幹線道路が舗装されていき、将来の自動車需要を見込んで世界の有力自動車メーカーは中国進出を目論んだ。しかし、中国政府はVWに国産部品を使用させることの対価として、VW以外の海外自動車メーカーの進出を許さなかった。そして、部品の国産化率を85%に上げていった。
その後、中国政府はVWが独占的な地位になることを恐れ、80年代終わりから90年代にかけて、GM、ホンダ、プジョー・シトロエン、フォード等に中国企業との合弁会社の設立を許可していく。合弁会社設立の際は、中国側が51%以上の株式を所有することを条件とすることで、経営権は外資に手放さず、生産技術を吸収していくことを目指していた。
部品産業の未成熟を理由に、進出に及び腰だったトヨタも2002年に一汽と全面提携して、広範囲な車種の中国生産を開始する。VWの技術で自動車工業の基礎を固め、次に外資間の競争を促進して、自動車産業を伸ばすという中国の戦略は成功したと言える。
中国政府は外資との間の合弁企業が成長すると、優遇措置を廃止していった。現在は大気汚染の防止が喫緊の課題となっており、電気自動車、ハイブリッド車などの技術を中国に移転することを望んでいる。VW、GM、現代自動車はその要請に応じ、日本の自動車メーカーも追随していった。
各社は、中国市場の更なる成長という機会、中国政府に好印象を与えるという意向、の2つを勘案し、中国政府の要望に応じているようである。中国政府は、自国の需要の大きさを武器に、外資に技術移転を強要し、中国の自動車産業を世界のトップに押し上げていくことを志向している。
過去に日本の自動車産業は、欧米の技術を模倣し、技術の吸収後は国産製品を保護し、世界最強の自動車工業を確立していった。中国企業はまさに同じ方向へ急ピッチで進んでいると言えるのである。
VWは他外資メーカーより10年以上も早く中国市場に進出し、確固たるブランド・イメージを築いてきた。中国の消費者は、VWは中国の自動車産業を立ち上げてくれたという特別な思いをいだいているように見受けられる。
VWは中国の2大自動車メーカーである上海汽車と第一汽車の2社と合弁事業を展開している。多数ある展開車種のうち、SantanaとJettaは合計で年間30万台も販売されており、突出した販売実績を持っている。
VWは中国市場拡大に伴う需要増に、生産能力を向上させることで、積極的に対応している。上海VWは2016年に、長沙(湖南省)に同国では9番目となる乗用車工場を建設する方針だ。2018年までに生産能力を現在の250万台から400万台に拡大させていくのだという。
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