一体いつになれば景気は回復するのだろう。実はリーマン・ショックが起こった直後は、専門家の多くは危機の予想以上の大きさに驚きながらも、以前の(1929年〜)世界大恐慌のような悲惨な事態にはならず、短期に拡大を封じ込めることができると考えていた。しかし結果から見ると、「その見通しは相当に甘すぎた」といわざるを得ない。2008年のリーマン・ショックから5年が経過した後も、世界経済が完全に回復し、再び成長軌道に戻ったとは言い難い。各国はリーマン・ショック後、ケインズ主義的処方箋に従い、すみやかに金融緩和政策と財政拡張政策を行った。
ケインズ主義は、景気循環の全過程の中で政府の財政均衡が実現できれば良いとする考え方だ。不況下では民間が投資や消費を減らして貯蓄に回すと考えられるので、そのような時には政府が財政赤字を厭わず積極的に支出を拡大する必要がある。その結果、景気が回復すれば今度は逆に民間の投資が活発になるため、政府は支出を政策的に拡大する必要はない。
このおかげで各国経済は2009年半ばごろから着実な回復過程に入ったように見えた。しかし、2009年末に顕在化したギリシャの財政危機により、世界的に赤字財政への批判的な見方が高まり、各国はマクロ財政政策のスタンスをケインズ主義から反対に緊縮主義へと大きく転換させていった。だがその結果、2010年から2011年にかけての世界経済は減速局面に入っていってしまう。これを受けて、世界は現在ふたたび新たなケインズ主義に向かっているところだ。
今回の金融危機の発端はアメリカの住宅バブルの発生と崩壊であった。投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻をうけて、金融機関は「次はどこが破綻するか」という疑心暗鬼にかられ、ひたすら与信を縮小し、可能な限りリスク資産を売却しようとする。こうして銀行間金利が急騰し、金融システムは崩壊してしまった。
さらに金融市場を通じた外部資金の調達を絶たれた企業は事業拡大や設備投資ができなくなり、次に起こったのは失業率の上昇であった。当然この影響はアメリカのみにとどまらず、世界全体に波及していった。こうして世界経済は世界大恐慌以来の大収縮を経験するのである。
危機が各国に普及して行く経路には、主に「金融ルート」と「貿易ルート」の2つがあった。金融立国と呼ばれる、国内経済において金融の比重が高い国、イギリス、アイルランド、アイスランドは「金融ルート」からの収縮圧力を受けた。特に「金融業に過度に特化した小国」であるアイスランド政府は大手3行を管理下に置き、海外口座を凍結した。「貿易ルート」からの圧力を受けたのは東アジアを中心とする工業製品輸出国。欧州では製造業が強いドイツである。しかし中国だけはリーマン・ショック直前に人民元の切り上げを停止し、自国通貨をドルの価格と連動させる政策に復帰していたため、ドルの下落とともに人民元も下落し、結果として工業製品輸出に有利な状況ができた。韓国もウォン安で輸出が好調になりショックから急速に回復。とくにサムソンやLGなどの家電メーカーが恩恵を受けた。
日本はこの「貿易ルート」から痛手を被る。当時の日本は90年代のバブル崩壊から「いざなぎ越え」を経てようやく回復しつつある状況で、まだ金融機関が積極的なリスクテイクに出られる準備が整っておらず、サブプライム関連への投資には出遅れていた。そのため、「金融ルート」での影響は比較的小さかった。一方で、円安という「貿易ルート」から大きく影響を受け、世界の工業地帯として東アジアが活性化する中で、工業品需要縮小の影響を最も深刻に受けた国となった。残念ながらこのとき、
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